テレビ見ない日々

4月に入ってからテレビを見ていない。

知り合いに「家にテレビがない」という人がいて(しかも二人も)、その話を聞いたときはちょっと信じられなかったけれど、まさか自分がそうなるとはね。しかも「テレビあるのに見ない」というのは趣旨が違うのかも。

きっかけは、ずっと見ていた『わろてんか』も終わったし、『西郷どん』も展開が遅く、まどろっこしくて離脱したので、そのほか別に見たいわけでもないのに時計がわりにテレビをつけているのが、なんとなく気になったから。
朝、仕事に行く前は「時計」としてテレビをつけていたので、見なくなったら遅刻するとか時間感覚がなくなるかなーと不安もあったが、iPhoneのアラームを駆使した結果、とくに遅刻はなかった。
それに慣れてくると時間を有意義に使える気もする。

じゃあ、そのかわりに一体何に時間を使えているのか、と訊かれると、これがさっぱり思いつかないのはそれはそれで問題かもしれない。
DVDを見たりしているので「視聴時間」はあまり変わらないのかも。

でも、自分で観たいものを観ているのと、とくに興味のないものが流れてくるのを斜め観するのでは意味合いがだいぶ違うと思っている。
主体が自分かテレビか、という問題だ。
観たい番組が始まったらまたテレビ観るんだろうけどね。
それまではテレビのない生活を楽しんでみようと思っている。

といいつつもケーブルテレビを解約できないあたりに首尾一貫性のなさを痛感するのだが。

「わろてんか」終了

「わろてんか」が終わった。

人生初、ちゃんと観た朝ドラだった。
なので、他と比較してどうこうは言えないし、全部(実は1回だけ録画し忘れて見損なった)観たくせに言うのもなんだけど、結局は「凡作」だったように思う。

「ボキャブライダー」の時の葵わかなが好きだったことが、このドラマを観たきっかけだったが、葵わかなの頑張りを見る、ということ以上の楽しみがなかった気がする。
他にも大好きな「釣りバカ日誌」の濱田岳と広瀬アリスコンビが出ていたり、内容もお笑いの世界を描いていてとっつきやすかったりもしたが、ストーリー自体は普通だった。

もちろん良かったエピソードはあって、月乃井団真と団吾の兄弟弟子の愛憎と愛情を描いた「われても末に」の週は面白かったし、リリコと四郎のコンビが誕生する「最強のコンビ」も楽しんだ。
凡庸な週の合間に、印象的な週がある。
それが朝ドラというものなのだろうか(他を観てない僕にはわからない)。

最終回を吉本新喜劇風の劇中劇にしたのは、ベタな反面、綺麗なオチだったように思う。
なんだかんだと言いながら半年間(ほぼ)欠かさず観たのは事実だし、今まで朝ドラを観てなかった人間を惹きつけたのだから、何かしら魅力のあるドラマだったんだろう。
そして、葵わかなは今後も応援したい。

キャスト、スタッフの皆様、お疲れ様でした。

過剰ライン

以前は好きだったけど、回を増すごとに好きじゃなくなってきて、最終的にホラーの印象しかないCMがある。

ひとつは「東急リバブル」。
ぐっさん(山口智充)演じるお父さんが社会の豆知識を子供に話すと、子供はそれをはじめて聞いたので嬉々として(お父さんを尊敬して)話を聞くのだけれど、東急リバブルについての知識を言っても「知ってる!」と反応して、お父さんがなんで知ってるの?とビックリする、というアレ。

初めは小学4年ぐらいの息子相手だったのが、話す相手が弟になり、妹も登場して、さらにはおじいちゃんもでてきて、東急リバブルについての知識が半端ない家族が増えていく展開。
回を追うごとに過剰になってきたのは、マンネリとはいえ怖さは感じなかったんだけど、最近のバージョンは、赤ちゃんがでてきて、子どもたちに合いの手を入れるように「リバブル、リバブル」言うのになった。しかもそれを教えたのはお母さん(なぜかリサ・ステッグマイヤー)というオチで、ここで一気にホラー感を感じてしまった。
多分、子どもたちに偏った知識を植え付けてきたであろうお母さんが出てきたことで、この家族が洗脳されてる感を感じるからだ。「理由はわからないけれど、リバブルについて知ってる」うちは笑えたのだけれど、元凶(と言っていいのかな)が出てきてしまって怖くなってしまった。

それと、「トントントントン日野の2トン」のCMも怖い。リリー・フランキーの怪演もあるから、これは「東急リバブル」以上に最初からちょっとホラー気味だったけど、最近は保育園にお迎えにきた堤真一の息子が、崩れてきた積み木の前で立ち止まって「危険を察知!」という奴。これも怖い。リリー先生に洗脳されてる感があるからだろうか。

と、ここまで書いて気がついたのだが、どちらも赤ちゃんや幼児という到底喋らない存在が、ありえないセリフを言うのが怖いだけかもしれない。それが笑うとこなんだろうけど、言うセリフが業者の宣伝だから「意味も分からず言わされている=洗脳感が強い」のかもしれない。
赤ちゃんが喋る、というのがどうやら僕の過剰ラインのようです。

あと、まともな人が一人いる(ここではぐっさんと堤真一)というところも『世にも奇妙な物語』みたいな印象ができて怖いのかも。
逆に登場人物がみんなおかしい「ロト7」の宣伝はホラーに思わない。今やってる奴はアドベンチャー映画みたいになって、展開の方向性が読めないのもシュールすぎて笑える(最初の柳葉&妻夫木のみの関係のときとは笑いの意味合いは変わってきてるけど)。
こういう過剰ラインは超えても大丈夫なのだ。

なんていうか、CM見て自分の感情を分析するっていうのも、ずいぶんCMに対して過剰な反応だけれども。

時代劇ハシゴ観る

絶対に見よう!とまでの気はなかったけれど、放送に間に合ったので『西郷どん』を観た。鈴木亮平が気になるから。

鈴木亮平の出たドラマでまともに観たのは『天皇の料理番』の兄さん役と、あの『銭形警部』だけなのだが、その役の振れ幅と演技を見て「この人ならなんかやってくれる(っていうかいい意味で「やらかす」)」と思っているからだ。バラエティのロケで出た時に「手品が得意」と言ってて、試しに披露した手品が、出演者がひくほど高度な手品だったのも強く印象に残っている。この人マジな奴だ…と。

そんなわけで、「鈴木亮平ショー」を期待して観た『西郷どん』だったが、初回は子役が演じているイントロダクション的な回で少々残念。それよりも、風間杜夫、松坂慶子、平田満の並ぶ画ってすごいことだけど、元ネタわかる若い人いるの?とか、それを言ったら西田敏行のナレーションと鹿賀丈史の出演って『翔ぶが如く』のオマージュじゃねえか、と細かい部分が気になってしまった(つかみとしてはOKだろうけど)。

次回予告は「鈴木亮平ショー」の予感を感じさせたので来週に期待したい。

あと途中からだけど、ダラダラと『必殺仕事人』も観てしまった。これは藤田まことが過去映像と音声を駆使して復活する、と聞いていたから。

んー、この登場シーンはかなり苦しかった。東山紀之と話す2~3分のシーンで、ほぼ板の陰に隠れていて全身を見せないのは、まあ仕方ないのだが、それ以上に「セリフの会話が噛み合ってない」のが辛かった。目を合わせて喋る映像を使っているならまだしも、ほとんど隠れてたり、手だけだったりの映像だったので、声の似た人に喋りの芝居は任せたら良かったんじゃないかと思った。それだと故人に失礼かもしれないが、「藤田まこと」ではなく、「中村主水」を復活させるのだったら、そういうやり方を考えたほうがスッキリしたんだけどな。あ、ただしドラマ自体はなかなか面白かったです。

故人をアーカイブ復活させるという試みは、最初ブルース・リーで聞いた気がするが、あれから月日が経ち、技術が進歩してもこの程度なのか、と少々がっかりする出来映えだった(予算も関係してるだろうね)。少しオカルトじみた思考かもしれないが、故人が演じていたキャラクターがCGじゃなく、画面できちんと復活するのを単純に見てみたいし、それはその作品のファンなら夢のような企画だろう。映像関係の方々にはその方向もぜひ頑張っていただきたい。

「わろてんか」がイマイチ面白くない理由

かつて朝ドラを一度もまともに見たことがないのに、主役の葵わかなの魅力にひかれて「わろてんか」を毎日録画してみている。
だけれども、どうしてもいまひとつ面白くない。

葵わかなはベストアクトとは思わないが(「ボキャブライダー」のポテンシャルからしたら、もっと笑いの“間”のセンスがあると思うのでコメディエンヌ方面に演出してほしい)座長らしい立ち居振る舞いをしているし、濱田岳はあいかわらず芸達者だし、高橋一生は求められている御曹司像の中に、高橋一生らしい陰(というか狂気)を含んだキャラをつくって存在感あるし…

と、役者自体は魅力的なキャストが揃っている。

話としても、鈴木京香演じる義理の母から認められた回や、月の井団真の復活(これまた北村有起哉がとても良かった)、アサリとおじいちゃんの家族愛、など感動するエピソードは挿入される。…なのだが、本筋がパッとせずに盛り上がりにかけるのだ。

面白くならない理由はいくつか考えられるのだが、その中でも気になったのは、お金がらみのトラブルが簡単に片付いてしまうことだ。

寄席を買う資金がないときは、勘当された実家に頼んで用立ててもらう。これはまあわかる。
人気落語家月の井団吾の独占契約金1万円は、どうやって工面したかわからないけれど、払ったこと(というか団吾師匠を独占できた)ことになっている。ここでちょっと、そのお金どうしたの?という疑念が浮かぶ。

そして、先週。

芸人たちを寄席に出してくれる胴元とトラブルになり、芸人を出さないといういやがらせの末、寄席があけられずにあわや倒産の危機、というような展開になる。結局、この胴元のあまりの卑劣ぶりに芸人たちが反旗して、主人公の寄席で直接雇ってくれるよう大量に押しかけてくるのだけれど、これで芸人は確保できたものの、胴元から全員の借金1000万を払え、と脅されてしまう。

どうすんの?っていうときに

「私にまかせといてください!」との頼もしく返事をしたてん(主人公の名前)は、ずっとコツコツ貯めてつくった1000万を取り出し、芸人たちの借金を返してやるのでした。

って、なんじゃいそれ!

いや、何か意味ありげに「壺」(貯金=へそくりが入っていた)をじっと眺めるシーンが今週盛り込まれてたので、何かあるとは思っていたけど。

頑張って貯めてました。
で、解決されても全然感動しない。っていうか、それまで「お金があったら色々できるのになー」と、お金のことで悩むシーンが結構あったのだから、それがあるならもっと前に上手く使う場面あったんじゃない?とも思う。

万事休すの場面を「実は貯めてました」「実はもってました」で、解決されても感情移入できないし、シラけてしまう。

ストーリー上、人の情に頼って問題を解決するのはまあわかる(出来過ぎではあるけど)。今回も、そういう方向で解決したならば「お話」としては納得できるのだが、ただ実話を元にしているだけに、実際も苦しんだであろう「お金の問題」がふってわいたような話で解決されてしまうところが、「わろてんか」がイマイチ面白くならない理由の一つだと思ったのだ。

その後の、大量の芸人を雇って、寄席小屋を10軒に増やしてますます繁盛した、という部分は、この物語の中ではかなり盛り上がる部分だと思うけれど、詳しく描かれることなくあっさりとナレーションで駆け抜けてしまい「わろてんか 第一部 完」なのかと思ってしまった(「少年ジャンプ」で打ち切りが決まった漫画の最終回の唐突な展開ぐらいの速さだった)。
でも今週は、そんな大きな展開があったこともさほど関係なく、安来節がなんちゃらみたいな普通の話がまだ続くのだから、今後どうやってさらなる盛り上がりをつくるつもりだろうか。

とはいえ、
ちっとも面白くなかった「後ろ面」も相方ができてようやく面白くなったし、今後は新しい芸人が出てくるそうだし(広瀬アリス演じるリリコも復活するし)、なんだかんだで役者たちの魅力にストーリーも追いついていってほしい。来年に期待。

それぞれの『誰もいなくなった』

テレビ朝日でやってた『そして誰もいなくなった』を録画していたので観た。
原作は未読、過去映像化されたものも観てはいないので「密室ミステリーの傑作」と言われるこの作品を予備知識なしで観られた。

第1夜「事件編」と第2夜「解決編」を続けてみたのだけれど、本来ならば一晩待たなければ「解決編」は観られないわけで、「これ一体どうなるの?」という上手いところで「事件編」は終わっていた。ただ、続けて観てしまうと「解決編」はオマケ感(というか3時間にして1日で終わらせていいじゃないという感じ)が強かった。沢村一樹演じる相国寺警部のキャラで持たせてた。あのキャラはこれだけで終わらせるのは惜しいので、またアガサ・クリスティ作品をリメイクする時にでてくるんじゃないかと思う。

(原作と違っている部分はあるだろうけれど)ミステリーとしては、2017年の今、トリック自体はそんなにあっと驚くものではない。誰が犯人かすぐにわかったわけではないが、だいたいの見当はついたし、偶然性に頼った部分があって、そんなに上手くいくかなーという疑問も。でもこの作品が1939年に書かれたことを考えると、その後のミステリー小説に多大な影響を与えたことはわかる。
トリックの古臭さを人間ドラマの面を推すことで、2017年に放送する難点をカバーしたおかげか、一気に見てしまうほど楽しめたのは事実で、重厚感のある映像も雰囲気があった。

そして何より渡瀬恒彦さんの遺作だったのが、録画してまで観ようと思った一番の理由だ。しかも病気をおしてこの役を演じるというのは、ものすごい神経を使ったのではないかと思う。ご本人の意志と演技がキャラクターとリンクして、ドラマを一層心に迫るものにした。それはある意味“ズルい”(渡瀬恒彦に頼ってしまった)部分はあるけれど、なにか運命的なものなのかもしれない。

 

それから、同じ『そして誰もいなくなった』が原作だというシュワルツェネッガー主演の映画『サボタージュ』を観たのだが、どこらへんが原作なのかほぼわからない(先に聞いてなければ全くわからない)映画だった。共通点は一人ずつ死んでいくところぐらい。ミステリー要素がないわけではないが、別段観る側に犯人探しをさせる気がないくらいのさらっとしたテイスト、「ミステリー風味」。血みどろのシーンが多めのごく普通のアクション映画。つまらなくはないという感想。

それにしてもシュワちゃんは老けた。“円熟味が増した”とか“味がでた”ではなく、単純に老けた。

肩書き言ったもん勝ち

今朝、ワイドショー的なテレビ番組を観ていたら、「イケメン評論家」なる肩書きの女性がでていた。

「イケメン評論家」って。

それも、WBCのイケメンを紹介する、という、なんていうか、(ああ中継するから、見てくれる層を増やしたいのね)な企画で出てきて、どんな“評論”するのかと思ったら、単純に「この選手がイケメン(顔がいい)」ということだけ言ってた。横顔が可愛いとか、誰々に似てるとか言ってたけど、それを評論と言うのだろうか。

まあ、テレビを観て、その内容を書いただけの記事がYahooニュースに載っている時代だから、どういう肩書きを名乗ろうが、ユルい評論しようが、ニーズがあるならそれでいいとは思うが、ただ単にWBCのイケメン紹介するなら、この人いらなかったはずなので、「誰のお気に入りだよ」というテレビ業界人の黒い部分が感じられて、朝からモヤっとした気分になってしまった(いや、この人、他ではちゃんと評論してるのかもしれないけど。その必要性がないコーナーだったのだ)。

個人的に言えば、もともと「イケメン」って「イケ面」じゃなくて「イケてるメンズ」という意味だったはずだから、昨日の時点で真のイケメンは中田翔のはずなんですがね。

でも、もう肩書きは名乗ったもん勝ちだな、としみじみ思った。
とはいえ、名乗る肩書き見つからないけど。