対策強化

前にも書いたけど、今年の花粉症は酷いようだ。知り合いでも、今年花粉症デビューした、という人がちらほら。なので、そもそも花粉症持ちの僕は、去年よりも強めの対策を始めた。

まず、前はかなり効いてた某ドラッグストアブランドの鼻炎薬が今年は今ひとつなのでアレジオンに代えてみた。

就寝前に1錠飲んで日中そのまま、という、効かなかった時にフォローのしようがない、効くか効かないかギャンブル性の高い薬だが(酷い書きようですが、あくまでも個人の感想です)まあ確かに翌日の夜までは収まっる。ただ「完全に鼻スッキリ!」というよりは「鼻水やクシャミを奥で抑えてます感」は高い。それでもあんまり花粉を感じない日に前の鼻炎薬に戻した時に、やっぱりアレジオンのほうがおさまってる気がしたので、しばらくこれにお世話になるつもり。

それから外干しをやめた。これが一番効果あるかも。家帰るとくしゃみ多発してたのが急に減った。部屋干しは好きではないが背に腹はかえられない。

あとは甜茶を試してみたいのだが、どこで売ってるんだろうか。あと味はどうなんだろうか。

そんなこと考えてると、意外と花粉症を楽しんでるんじゃないか、と一瞬錯覚するが、割と死活問題。甘く見ずにシーズンオフまで乗り切ろう。

別人設定

友達との会話で、ペンパイナッポーアッポーペンが出てきて、ピコ太郎のことを思い出した。

もうネタとしては、「アイハバペーン」を「ディスイズアペーン」と言ってしまうほど忘れていて(荒井注かっていう)、流行り廃りを痛感するが、ピコ太郎こと古坂大魔王は、「底ぬけAIR-LINE」時代から知っていたし、『検索ちゃん』で切返しの上手さを発揮していて好きな芸人さんだったので売れて良かったなー、と思っている。

ただひとつ納得しかねることがある。
それは「ピコ太郎は、古坂大魔王がプロデュースする別人」という設定。
しゃらくさい、というか、こっちが恥ずかしい感じがする。その設定に乗ることを求められるのも面倒くさいのだろう。
もっと言ってしまえば「その設定いるの?」という疑問を感じてしまうのだ。

でも、あらためてピコ太郎とPPAPのことを考えてみて、ふと気づいたのだ。
その設定は、古坂大魔王が素でいる時(つまりピコ太郎の扮装をしていない時)に、「PPAPやってくださいよー」と、ネタをやらされるのを避けるためなんじゃないかと。
あのネタは、ピコ太郎の扮装をしてやるからこそ面白みがあるので、それを素でやってしまうとネタがスベって飽きられてしまう。でも、やらないと「芸人のくせにネタやらないとか天狗になってる」とバッシングにあってしまう。
その解決策としての「古坂大魔王とピコ太郎別人設定」を作ったのではないだろうか。

そう考えた途端に、今までしゃらくさいと思っていた設定が涙ぐましい努力のように思えてきて「よーし、この設定に乗ろうじゃないか」という気になってきた。
なので、今後、古坂大魔王とピコ太郎は別人、という設定を強く推していきたい。

いや、でもまた別のキャラ作って「それも別人」とか言われたら、それはそれで微妙だけど。

エイプリルフール

4月1日。エイプリルフール。

子供の頃から「この日は嘘ついてもいい」という習慣(でいいのだろうか?)はあったけれど、有名人に会ったとか、ゲームで裏面を見つけたとか、まあ可愛い(害のない)嘘ばかりだった。
でもここ数年、とくにSNSが普通に使われるようになってからは、狙いすぎてスベっている嘘はまだしも、ちょっと洒落にならない嘘も多い気がする。スキャンダラスなものを言ったもの勝ち、みたいな傾向になってきてしまうのだろうか。

あと、困るのは「微妙に本当っぽい嘘」。
「私、結婚しました」とか「俺、会社辞めて海外移住することになった」とかは、パーソナルな閉じられた空間で言う分にはいいけれど、SNSで言われると、ちょっとどっちかわからないので、反応に困る(一例であって、実際に知り合いからそう言われたわけではないけど)。

エイプリルフールの嘘は、大げさなものや凝ったものよりも、「嘘だけど素敵だね」というものが良い(じゃあ、実際、どういう嘘が素敵かと考えるとなかなか難しいけどね)。

「わろてんか」終了

「わろてんか」が終わった。

人生初、ちゃんと観た朝ドラだった。
なので、他と比較してどうこうは言えないし、全部(実は1回だけ録画し忘れて見損なった)観たくせに言うのもなんだけど、結局は「凡作」だったように思う。

「ボキャブライダー」の時の葵わかなが好きだったことが、このドラマを観たきっかけだったが、葵わかなの頑張りを見る、ということ以上の楽しみがなかった気がする。
他にも大好きな「釣りバカ日誌」の濱田岳と広瀬アリスコンビが出ていたり、内容もお笑いの世界を描いていてとっつきやすかったりもしたが、ストーリー自体は普通だった。

もちろん良かったエピソードはあって、月乃井団真と団吾の兄弟弟子の愛憎と愛情を描いた「われても末に」の週は面白かったし、リリコと四郎のコンビが誕生する「最強のコンビ」も楽しんだ。
凡庸な週の合間に、印象的な週がある。
それが朝ドラというものなのだろうか(他を観てない僕にはわからない)。

最終回を吉本新喜劇風の劇中劇にしたのは、ベタな反面、綺麗なオチだったように思う。
なんだかんだと言いながら半年間(ほぼ)欠かさず観たのは事実だし、今まで朝ドラを観てなかった人間を惹きつけたのだから、何かしら魅力のあるドラマだったんだろう。
そして、葵わかなは今後も応援したい。

キャスト、スタッフの皆様、お疲れ様でした。

バタバタとした休日

帰りが遅いとブログも慌てて更新となる。
至極当たり前の法則だ。

今日は有給休暇をとった。とくに予定はなかったけれど、先日休みなのにちょっと仕事をしたのでというのと、結局有休を使い切れないから取れる時にとっておこう、というのが理由。
午前中はフリーだったのだけど、午後に予定を入れて、結局バタバタとした一日に。
先週末、舞台をやったメンバーとの集まりもあったので、帰宅もままならず、ブログ更新も電車の中ということに(未だ車中)。

もっと計画的にブログを書かなきゃなー、と思う。

それにつけても、考えなきゃいけないことが多い。嫌なことは少ないのが幸いだけれど。考えられることが幸せと思って頑張ろう。そう思った休日。

承知と了解

承知いたしました。

という言葉を良くメールで使う。それまでは「了解いたしました」を使っていた気がするけど、きっかけは「了解」は目上の人が目下の人に使う言葉と聞いたから。
しかも、目上の人に「了解しました」と使っている後輩に、「チミチミ、それは違うよ」とやんわりたしなめたりもした気がする。
そんな中、なんか全然、「了解」が悪い、ということじゃないということが判明した。

『「了解/承知」どっちが正しいとか愚問だからもうやめませんか』
という記事にあるように、「承知しました」が目下が目上に使うもの、という概念がそもそも個人の意見(著作)から広まったものだし、だいたいこの二つは「使う意味合いが違う」そうだ。

「了解した」は、「すっかり理解しました」という意味だ。
「承知した」は、「依頼・要求などを聞き入れました」という意味だ。
(上記記事より引用)

なので、状況によって使い分けるのが正しいはずなのだ。
僕はすっかり偽マナーに騙されていたわけで、たしなめた後輩には悪いことをしたと反省している。

とはいえ、使ってみると「了解いたしました」よりも「承知いたしました」のほうが響きが良い気がするんだよね。それも「了解」という言葉に対する偏見が由来なのかもしれないが。

ですので、こういうことに気づいてしまった以上、今後はTPOに合わせて使い分けたいと思っていますので、関係者各位はなにとぞご承知おきくださいませ。

書きたいこととは

今日はなんもない。
いや、本当はそれなりにあるけど、書きたいと思うことがない。

いや、正直に書けば、昨夜「エージェント・オブ・シールド」のシーズン2の1巻を借りてきて夜更かししてしまったので、今朝は10時頃まで寝ていて、それで午前中は片付けだの洗濯だのして、夕方から休みだけど職場で講習会があったので参加して、夜は友達とご飯食べた。

というエピソードはあるのだけど、書きたいことはそういうんじゃないのだ。
じゃあ、書きたいことはなんだろうかね。まだ定まってはいないけど。
「Facebookに書くこととは逆をいきたい」という思いがあるのかもしれない(Facebookやってないので完全にFacebookの投稿へのバイアスかかってますが)。

そんなわけで明日からまた書くことを考えよう。

本日も花粉症につき

思った以上に頭が働かない。

仕事だったけど、何をしたのかさっぱり覚えてない感じ。会社の鍵閉め当番だったのだが、鍵を閉めたかどうか不安になって事務所から出口まで3往復してしまう始末。
鼻水もひどいけど、目が痒くなってきてしまって、さて一体どんな薬を飲めばいいのやら(普段は鼻炎薬だけです)。

とにかく、できる限りの対策をして乗り切ろうと思う。
いろいろ調べてみよう。

花粉飛ぶ飛ぶ

とにかく今日の花粉はすごかった。
1日2回で効くという鼻炎薬を結局3回飲んだ(マネしないでください)。
本番前の先週が比較的花粉が少なくて助かったなーと思いつつ、それまで我慢していたかのように、鼻水の量が半端なく出る。
夕方になるとまだ風が冷たく、それもまたちょっと困る。
花粉のピークって、いつ頃まで続くんでしたっけ?

それにしても花粉症がすっかり流行になって、だいぶたった気がする。ピタッと止める薬が開発されてもいいと思うのだけれどね。
研究者の方々には頑張っていただきたい。

来年にはできてると信じて、今年は耐えます。

宴のあと

昨日の発表会。

まずは上出来だったと思う。ビデオで見直したりすると、思った通りにできてないかもしれないけれど。
1曲目では入るところ間違えたし、2曲目の弾き語りではテンポがズレたりしたのも良く覚えている。
それでもステージは終わり、楽しさだけが残った。

観客は仲間うちが8割9割とはいえ、舞台にたった時にほとんど緊張しなかったのは意外だった。歌い始めると、練習よりも声がでていないので、多少は緊張しているのだろうけど、いわゆるアガってしまう感じはなかった。なんだかんだで舞台慣れしてきたのかもしれない。
それと、前回よりもしっかり練習した、という自負はあったので、その点が自信になったのだろう。練習は正直だ。

一夜明けて、満足感とともに、次に歌いたい曲を練習し始めた。とにかく歩みを止めないことだ。

やっぱり歌うの好きだなー。そして歌うのを聴いてもらうことも。
好きなことがあるのは幸せだなー、とつくづく思う。
だから歩みを止めないでいこう。