転身

成人の日。そして休みだった。

本当は自宅に引き篭もって、片付けしたり、炊事をしたり、自分を見つめ直したり(並列で書くこと?)する予定だったのだが、届け物をする用事ができてしまったので実家まで行く。車を動かさなきゃ、とも思っていたからちょうど良いタイミングではあったけどね。
滞在は2時間ぐらいだったけれど、無事届け物できたし、猫にも会えたし、今日のこの感じだと、自宅にいてもダラダラしてしまった気がするので、正月気分の最終日としては良かったと思う。

前から気になっていたNetflixのドキュメンタリー「ジミーサビル:人気司会者の別の顔」を見る。2本合わせて2時間半ぐらいのものを一気に見てしまった。
名声や権力を得た人間を告発することがいかに難しいか。振り返ればそうと思える言動があるにも関わらず「ジョーク」として受け入れてきてしまったのはなぜか。
日本でも最近こういう報道がいくつかあるが(その真偽は別として)、問題が覆い隠されてしまう風潮は日本だけではないのだ、と知る。真実を突きつけられたときに、信じていたものを捨てるのは難しい。ということも。
そのような時に自分は正しいふるまいができるだろうか。深く考える。

気がつけば、やるべきことはなにひとつ(文字通り「なにひとつ」だ)できていない。このループからなんとか抜け出さなきゃな。それは気持ちひとつ次第ではある。

切り替えて、明日から頑張りますよ。

Xとの距離

正月明けから、やや体調不良なこともあって気持ちが落ち込み気味だった。

今日もあまり「よろしくない」状態なのに、そういう日に限って、色々なひととよく話す日だった(打ち合わせだったり、愚痴を聞いたり、雑談したりと)。
昨日も書いたけれど、すごい人とと話すと打ちのめされたりするし、愚痴を聞くのはいいけれど、自分にできることなんてごく僅かだなーと自己嫌悪に陥ったり……

ただ、なんかちょっとふっきれた感じはする。
自分にできることは小さいことだけど、やるしかないし、大きくしたければ努力するしかないのだ。
あと、僕は自分の手の届かないことに気を回しすぎてる気がする。それは多分ネットで「大きな社会」の情報を、身近に手に入れられてしまうからだろう。
そんなわけで、とりあえずちょっとTwitter(つまりX)断ちをしようと思う。

とはいえ、このDMでしかつながってない人もいるので、1日に1回は見るようにします。ただ、みてると疲れちゃう(&自分の身の回りのことに集中できない)ので、基本はあまり触れないようにする予定。いいねとかリポスト(言い慣れない)は脊髄反射的にするかもだけどさ。

まずは、しばらく自分の手の届く範囲のことに集中しようと思います。幸か不幸かやらなきゃいけないことがたくさんあって、そうしないととても追いつかないからね。
まあ「やるべきこと」に集中しましょう(って、いつも言ってるけどできないくせに)。

新年10日以内に少しやる気がでてきたのは良い傾向だ(ポジティブシンキング)。
ブログはかわらず頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ナルシシズまない

体調不良はだいぶ回復。

良く寝た、というのが一番の薬かと思うが、昨日まであったダルさはなくなった。
それでもまだ芯の、さらに芯のほうに若干の調子悪さはあるのだけれど、これ以上は悪くならないだろうな、という感覚(まあ風邪なんだろうね)。

お世話になっているKIKCAFEさん主催の「山羊座会」に出席する。山羊座の人だけでそれぞれの誕生日を祝おうという謎の会。昨年もお誘いをいただいていたのだが、労働(言い方)が重なったため参加できず、今年こそは、で悲願の参加。
1年間を12分割してるだけだから、そんなに貴重な確率ではないのだろうが、山羊座ばかりが十数人揃うとけっこう圧巻だった。そして同じ山羊座でも(当然のことながら)いろんな人がいる。ゆっくり話せなかった方もいたが、それぞれ個性的な人たちだし、こうして同じ場にいただけでもなんか一体感が出るのがいい。こういう繋がり大切にしないといけない。

その後、また別の「初めまして」の方々と1時間ぐらい喋った。
そのうちの一人がまた名実ともに“すごい”人で、その器の大きさと場を支配する能力に完全に面食らった。
で、そういう人に会うたびに「自分のなんでもなさ」に落ち込んだりする。
自分と他人を比べるものじゃない、とはよく言われるが、比べちゃうんだよね。そもそも人は比べる生き物なんだとも思う(だからマウンティングだのポジショニングなんてものが存在するのだ)。

ただ、改めて「その人みたいになりたいか」と問われると、自分は自分の人生のほうがいいなあと思うのも事実。そこではたと、なんだかんだ言って、自分のことが好きなんだと気づく。
考えてみれば、仕事柄、プロフェッショナルや“ホンモノ”の人に会う機会が普通の人より多くて、そのたびに打ちのめされて、自分の平凡さに落ち込んできた。
でもその人と変わりたいと思ったことはないから、それは結局「自分」でやるべきことやらなきゃ満足しないということだろう。そして、そこからさらに考えると「好きな自分」になれてないから落ち込むし、他人と比べちゃうのだろうな、とも。
そういうことがわかって良かったよ。
まあ、近々またひとつ歳を重ねて、いよいよ人生デスパレートになってくるから、なんとかしなきゃね。

社交性があるように擬態している身には、キャパシティオーバーな出会い数だったから、今になってどっと疲れた。
まだ完調でもないし、晩酌してとっとと寝るよ。

初疲労

3連勤終了。

日を追うごとに疲労がかさんだのは、やっぱり正月で身体がなまっていたからだろうな。昨晩はなんと22時前に横になり、ダラダラとYouTube配信の音声だけ聞いて23時前には寝入った。それでも、今日は一番調子悪かったよ。まあ薄ら風邪をひいてるんだろうな。
そんなわけで、今日はジムも回避してまっすぐ帰宅した。

気になるのは偏頭痛と目の疲れなのだが、どうにも目が痒いから、もしかしたら花粉症、あるいは何かのアレルギー症状のような気もする。体質改善したほうがよいかもね(どうすればよいか思い当たらないが)。

とにかくとりあえず労働(言い方)は乗り切ったから、今晩もゆっくり休みます。
あと、頭が働かない時に「したい」と思っていることは本当にやりたいことのような気がするから、今やりたいことをちゃんと記録しておこう。

寒さ大敵。とにかくおやすみなさい。

不慣れ

労働二日目。

昨晩、早寝したおかげで寝覚めは良かったのだけれど、やっぱりお昼後に偏頭痛に襲われたし、どうも調子はよろしくない。目の疲れと肩凝りが原因かなーとは思うけどね。身体が疲れている感じはしないんだけど、ただただ頭が重い感じ。
仕事上で、ちょっと難易度の高いミッションを課せられていたりするので、それもあるのかもな(知恵熱的なね)。
そんなわけで今日も昨日以上に早寝することにする。年が明けてまだ4日目だが、早くも状況立て直さなきゃいけないな。

どうしてるかなー、とちょっと気になっていた人と連絡がとれたりして、そういう点では良かった日。
そういう「プチよいこと」をつないで、前向きに頑張ろう。

なまり

労働開始(言い方ね)。

2024年初出勤はたいした仕事ができないくせに、ものすごく疲れた。
考えてみたら5日ぶりの労働なので(途中ボランティアあったけどな)、身体がなまっていたのだろう(あるいは拒否反応)。

午後、偏頭痛に悩まされた。昨日も夕方買い出しから帰ってきた後、頭痛とちょっとした気持ち悪さに襲われたのだ。飲み過ぎ、食べ過ぎ、気圧、目の疲れ……思い当たることが多すぎて原因はわからない。
とりあえず、今日は微アルコールビールにしてみた。以前飲んであんまり美味しくなかったうえに、普通のビール以上に酔いが回った(気がした)ので避けていたのだが、まあまあ飲めた。でも、ノンアルコールとさほど変わらないかもな。クラフト系の味のやつなのだが、こういう風味のノンアルビールないだろうかね。

東京にいても相当寒いが、被災地を思うとなんのこれしき。体調崩さぬように精一杯頑張りましょう。一応、初ジム行ったしな(偉すぎる)。

今日は早寝する。また明日です。

二が日

正月休み2日目にして最終日(寂しい)。

音声コンテンツ聞きながら片付けしたりしてダラダラと過ごした日。
それと昨日の「相棒」を、最後の展開ほぼ「VIVANT」じゃん、とか思いながらも楽しく見たりした。

地震のこともすごく気になるが、続けて羽田空港の事故があったりして、なんか年明けから気持ちは落ち込み気味。
「なにか超常現象的なことが起きているのだ」みたいなことは思わないが、災害や事故、事件というのはいつ起こるかわからないし、自分や自分の近い人がいつ巻き込まれてもおかしくない。そういうことを心の片隅に置きながら行動することが大事なんだとは思う。
心をそちらに少し向ける、ということが“現実的には”意味はないのだろうが、それが社会に身を置くという態度だと思っている。

明日から労働開始だ(言い方)。
気負わず、でもできるだけ一生懸命働きましょう。それが誰かの、何かの役に立つのだろうからね。

吉凶末分

年越し。ウェルカム2024(なんで英語?)

年跨ぎの瞬間は起きていたけれど、早起きに備えて0時台には寝る。5時に起きて身支度をして、実家に新年挨拶しに向かう。

向かう途中で大宮の氷川神社で恒例の初詣。7時半という正月にしては比較的早い時間だったけれど、それなりに混み合っていた。コロナが5類になって初の正月というのもあるのだろう。
お参りの後、恒例のおみくじをひく。昨年までは巫女さんから対面でひいていたのが、セルフサービス的にひく形になっていた。多分、これも人手が多くなることを見越してなんだろうなあ。

で、肝心の内容だが、運勢は「吉凶末分」だった。調べたら読み方は「よしあしいまだわからず」で、「運勢がいい方向にいくか、悪い方向にいくか定まっていない状態」らしい。前にこの氷川様では「吉凶相交」や「平」をひいたこともあるが、さらにレアものを引いてしまったのかもしれない。
おみくじ番号が第一番なのと、それぞれの項目は最終的には良さげなので、まずまずの出だし。っていうか、「定まってないなら、自分の力で運をいい方向に向かせてやんよ!」という心持ちにもなっているので、この心持ちを忘れずに1年過ごせますように。

その後、ブランチ時間に実家でおせちやお雑煮をいただきながら新年会をし、仮眠をとって、夕方早めの第2弾新年会を始めようとしたら緊急地震速報。震源地は能登地方。
金沢には音楽仲間の方が住んでいるし(無事は確認できました)、輪島市は以前に出張で行ったことがあり、当時、市役所や商工会議所の方々、輪島塗師の方々にお世話になった場所だから、被害情報を見ると心が収まらない。
とはいえ、今、自分にできることは被害がこれ以上拡大しないことと、無事であることを祈るだけ。「心を寄せる」ということだけで、力になれるわけではないだろうが、今はとにかくそうするだけ(落ち着いたら何か手助けできれば)。

そんな元日になってしまったが、今、自分が無事であるということのありがたみを感じつつ、一生懸命生きましょう。
みなさんもどうかお元気で。

本年もよろしくお願いいたします。

1年後

大晦日。

ダラダラと過ごして、あっというまにこんな時間。片付けもまともにできなかったよ(縁起を担いだわけでもなんでもなく)。
ただ8月からほぼ放置状態で5000越えだった未読メールを綺麗に削除した。99%以上がお知らせのDMなので、配信停止設定もした。こういう「あってもなくてもよい」情報の波に飲まれてしまうのは良くないよな。

来年の大晦日はきちんと1年を振り返れる。2024年をそういう年にしたい。
残念ながら今まだ継続している戦争が、来年には終わっていることを願う。戦争じゃなくても争い事ができるだけない世の中であるように願う。
残念ながら瑣末なことでも人と人との間には争い事が起きるし、対峙しなければならない時もある。でも、肉体的にも精神的にも傷つかないよう、ましてや命が失われることのないよう、誠実に、細心の注意を払える世の中でありますように。自分にも当てはめて、そういう心持ちでいられるように心がけたい。
それが少しでも叶った1年後であればおおむね良いんじゃなかろうか。

それにはまず、健康第一で(急に話が小さくなる)。

それでは、みなさま。来年、お互い元気で過ごせますように。
よいお年を。

三つ納め

今年もあと2日。

昨日できなかった分、ちょっとだけ職場に立ち寄り大掃除をする(ワーカホリック)。結局、PCのフォルダ整理だけで終わってしまったのだが、まあ多少はスッキリしたからまあ良いか。
これで完全に仕事納め。明日は仕事を忘れるよ。

映画『首』を観た。
先週ぐらいから「観ておかなきゃ」と思って、クリスマスイブの日に観に行くチャンスもあったのだが、イブの日にこの映画を観るとその後寝覚めがずっと悪くなるような気がしたので回避していたらこんな年末ギリギリになってしまった。
北野武映画を観るのはだいたい江戸川台ルーペとなのだけれど(って言っても劇場で一緒に観たの『座頭市』だけな)、今回は彼があまり乗り気でなかったので、ひとりで観るつもりだった。そうしたら、先日忘年会で手塚貴子さんも観たいというのでご一緒していただいた。

肝心の映画はオススメするほど面白いか、と言われるとそうではないが、劇場で観て良かった。間がコントっぽかったり、目を背けたくなったり、ちょっと退屈するシーンがちらほらあるが、それも含めて全体としては、終わった後にものすごいいろんなことを考えたくなる映画。
終演から劇場のあちらこちらだけでなく、帰りのエレベーターの中でも熱く語りあう人たちがいて、これはそういう熱を生み出す作品であるのだなあと思う。なのでひとりで観るより手塚さんと感想を語れたのはなお良かった。
職場の友人から教わった台湾惣菜の店で遅めの昼食を食べながら、映画の感想戦と、先日の忘年会の続きみたいな話をする。そして1時間ほど話した後に解散し、ジム納めに行った(偉すぎる)。

夜はピザパーリィー(ぼっち)にしようかとも思ったが、いい感じでお腹も膨れていたし、昨日開けた日本酒が残っていたので、和食系の惣菜を買って晩酌。

今年、自分にとっては(細かく振り返ってみると)まあまあ良い年だった。でもなんかこう「もの足りない感」がつねにある(ルーペさんとの忘年会では60点つけた)。
つまるところ、自分は今の人生を「ガラっ」と変えたいわけじゃなくて、この感じでグレードアップしたいのだな。それは今の状況で地位だったり、名誉だったり、収入だったりを上げたいということ。そしてその全ては“自信”のありなしに関わってきているようにも思う。
20代前半の時に評されたように「自信の塊」みたいなままで生きてきたら、それはまた別の道があったと思うが、それだと、今出会っている人との縁はなかっただろう(あと、勘違いでずっと生きちゃった気もする)。そう思うと、今のほうがずっと良いし、多少の誤差はあったにせよ、きっと今のような状態に落ち着いたのだと思いたい。でも来年もまた60点というのはちょっと納得いかないから、少し「自信もって」生きていくことにするよ。
経験豊富な先輩たちの功績も、若い人たちの情熱と行動力も、どちらも持ってないのは不安だけれど、僕らの世代だからできることだってたくさんあるはずだ。
「人間生まれた時から全部遊び」なのだとしたら、品良く、誠意を尽くして遊ぶことが自分らしいんじゃないかなと思う(なに、急に真面目になってんの?)。

明日は完全オフ。
大晦日に大掃除しちゃダメらしいのだけれど、本類だけは徹底的に片付けたい。あとシンプルにゲームしたい(その遊びなの?)。

2023年はあと1日ちょいだけれど、それも無駄にせずに遊びましょう。