ホップステップ休み

今月最初のほうで休日出勤をしたかわりに、今週は1勤1休みたいな感じになっているのだけれど、集中して仕事するとなると週4勤務ぐらいがちょうどいいような気がしている。

で、今日一日頑張って働いて、明日休みをとったのだが、明日は13年ぶりにとある場所に行くのだ。
ヒントはここ1週間のブログにあるようなないような。

そんなわけで明日に備えて寝ます。

テレビをつけて

午後出勤なので、昨日ニュース速報に気づかなかった件もあり、テレビをちらちらとつけたりしていた。

ちょうどワイドショーの時間のせいか、次から次へと問題、というかあまり聞きたくないような話題が続く。
あまりハッピーな話題がでてこないのだ。

もちろん、昨日、大きな地震があったのだから、それについてはしかたがないと思う。それにしても、他の話題も含め全体的なトーンが、非難だったり、批判だったり、責任逃れだったり、うやむやなことだったり、疑惑だったりして、観ていて疲れてしまう。
ああ、そうか。だからテレビ観ないようにしたんだ。と改めて気づく。

もちろんこれは時間帯によるものが大きいのだろう。
楽しいドラマだったり、良質のドキュメンタリーだったり、そういう面白い番組もたくさんあるのだと思う。
ただ、出勤前にこういう話題を観て、ネガティブな感情で仕事に行くのは嫌だな、と思ってスイッチを切った。

これは、僕の気の持ちようかもしれないけれど。

時間差

朝、テレビを観なくなってからずいぶん経つ。

なので、今日、大阪で地震があったことを知ったのは発生から約20分後の8時20分頃。日経新聞のアプリ通知ではじめて知った。
あわててテレビをつけると、どこも速報を報じていて、やっぱり大変な地震だったのだとわかる。

普段テレビを観なくても、とくに困ったりはしなかったけれど、今回ばかりはかなり焦った。速報に気づかなかったことで、自分だけが世間から切り離されているというか、遅れをとっているような感覚。
ネットがあるから大丈夫、と思っていたけれど、テレビもまだまだ必要なメディアなのだと痛感。
ようはバランスなんだろう。
そのあたりを今後は上手く活用していきたい。

ふじみ野のブルーノ・マーズ

ららぽーと富士見に行った。

郊外型のショッピングモールらしい作りで、通路が広くて買い物がしやすく、ファミリー層が多かった。
欠点はフロア移動するためのエスカレーター、エレベーターの配置がいまひとつなことだが、この手のモールにはめずらしく、フードコートの質が高かった。
こういうモールが車で行ける距離にあるのはありがたいと思う。

さて、ららぽーとの感想はそんなところで、今日の本題はそこではない。

そのららぽーと富士見で「ブルーノ・マーズの曲をアレンジした環境音楽」がずっとかかっていたのだ。
いや、ずっと、というのは語弊があるかもしれないが、僕が確認できただけで「Just  The Way You Are」、「Grenade」、「The Lazy Song」が(「Liquor Store Blues」もあった気がする)、さらには「Uptown Funk」までかかっていた。
そして全てカバー。

ブルーノ・マーズに限った話ではなくて、ビートルズやビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソンといった有名な洋楽の環境音楽(たいていはアコースティック)アレンジが店でかかることは多いが、どちらかというと、こういうのは“揶揄される”楽曲なのだと思う。
それはモノマネでもなく、誰が歌っているか、誰がアレンジしたか(インストの場合も多数)などに言及されることもない。原曲よりも「良い」わけでもなく、なぜアレンジしてまで流しているだろうか、と不思議に思っていた。

でも今日、ブルーノ・マーズの曲のアレンジを聴いたら、原曲をそのまま流すと強すぎてショッピングのBGMには合わないのだ、と改めて気づいた。
それに、知ってる曲だしメロディラインは心地よいし、オリジナルの環境音楽を流されるより耳馴染みがいいのだ、ということにも気づいたのだ。
これまで、こういう“謎アレンジ”(とあえて言ってみる)って、作る意味があるのか?とまで思っていたのが、「ああ、これはこれでアリなのかもね」と納得してしまった。
それはブルーノ・マーズの力なのか、アレンジャーの力なのか、はたまたショッピングモールで買い物というTPOの力なのか(多分全部ひっくるめてだろうけれど)、音楽と環境の関係を考えさせられる、興味深い経験になった。
でも、このアレンジの方で曲を覚えて、原曲を聴いた人はどういう感想を持つのだろうか。経験のある人に聴いてみたい。

ところで、僕は20歳のときに、ちょっとした検査で手術を受けたことがある。
頸部から組織を取って検査したのだけれど(結果は良好でした)、その時は部分麻酔だったので、手術中の音はちゃんと聴こえていた。
で、その時かかっていたBGMで良く覚えているのは、チャゲ&飛鳥の「SAYYES」の外国人カバーバージョン。

なぜ手術中に、しかもなぜカバーバージョンがかかったのか。
僕はずっと手術を受けながらそのことばかり考えてしまっていた(だから手術に関する記憶はそれ以外抜け落ちている)。

手術中に「SAYYES」のカバー。
あれだけはいまだに謎だ。

シンクロニシティ

残業だった。

覚悟はしていたけれど、思ったよりキリのいいところまでいくのに時間がかかった。逆に考えれば、今日やっておいたおかげで、明日は楽になるのだけどね。

そんなわけで、今日の夕飯は買って帰ることに(最近、自炊できてないので今日に限った話ではないが)。
電車に乗るまでは、唐揚げ弁当にしようと思っていた。でも最寄り駅に近づくにつれて、やっぱり牛丼(正しくは松屋の牛めし)にしようと、ふと考えが変わった。

で、家に帰って夕飯を済ませると、実家から電話が。
そうしたら、実家の母と兄も今晩は牛丼(正しくは松屋の牛めし)だったとの報告が!

なんでしょう、ただの偶然なんだろうけど、この「家族ならではのシンクロニシティ」な感じ。

そんな“すこし不思議”なお話。

打ち合わせ×2

昨日は午前中から打ち合わせだった。

会社の仕事とは直接関係ないのだけれど、とある企画に関わるためのキックオフミーティングに参加した。ランチをしながら、ざっくばらんにブレストをしていったが、とても有意義で楽しい打ち合わせになった。
参加したメンバーが皆さん鷹揚で心が広いというのもあるのだろうけど、出てきたアイディアを否定せずにキープしておくことで、あとになって他のアイディアと結びついていくのが面白かった。
あらかじめまとめていった物からだいぶ飛躍した結論に達したのだが、そのベースがあってこそ、その結論が出たようにも思えるので、やっぱり準備が大切、ということも学んだ(今さらながら)。

普段の会議もこんな感じになればいいのになー、と心から思った(ディスってるわけではありません)。

そして午後から出社して、これまた取引先と打ち合わせ。

30分ぐらいで用件は済んだのだが、話が脱線して、なぜか初対面の自分が、相手の今後の活動の方向性について相談を受けることに。
そして平然と相談に乗る自分も自分だけれど、その後1時間以上話して、予期せずにとても楽しい打ち合わせになった(最終的に世界進出の計画まで提案した)。

結局、本音をさらけだして、それから間違ってる合ってるを気にしないで、言いたいことをとりあえず言って、そこから結論を導き出すのが一番建設的なんだよな、とつくづく思った。
話し合う議題について、お互い「良くしよう」と思っているはずなのだから。
なにを選ぶかは相手次第だし、予測不可能な結論に達することもある。だけど言い尽くした以上、結論についてはとやかく言わない。そして結論が出たら、そこに向かって一致団結する。
それが本当の意味での信頼なんだろう。

ただ、それができる相手が少ないのも残念ながら事実なのだ。
だからこそ、本音で打ち合わせできる人たちがいるのは幸せなことだし、自分もそういうスタイルで行こうと思った日だった。

普段の会議の相手もそういう人たちならいいんだけどなー(くどいようだがディスってるわけではありません)。

グリーングリーン

全然違うことを書くつもりで、下書きまで用意していたが、せっかくの機会なので、今思いついたことを書く。

このブログはグリーン車の中で書かれている。

だから何だ。という気もするが、“普通列車”のグリーン車に乗るというのはけっこうな贅沢感がある。
まだ実家ぐらしをしていた時は、遠出した帰りに(だいたい品川からだ)グリーン車を何度か使ったことはあるが、最近はめったに乗らなかった。
今日、久々に使ったのは、ちょうどPCを持っていて実家に帰る日だったので、車内でブログ更新しようと思ったからだが、書く内容については、こんな「実況」のようなものにするつもりは毛頭なかった。
でも、まあめずらしいことなんで。

この時間のグリーン車は結構な込み具合で、うまく窓側の席をとれたのだが、空席は少ない。通勤列車のグリーン車はリーズナブルなおかげか、客層も老若男女さまざま(僕もそうだ)。
半2階席から見下ろすホームはちょっと優越感あるけどね。

車内販売は使ったことがない。どうせ1時間も乗らないのだ。90分くらい乗るならコーヒーとか、この時間帯ならビール買うんだけどね(このあたりに自分のセコさを感じるな)。

そんなわけで、セブンイレブンで買っておいたお茶だけをおともにグリーン車で実家に帰る道のり。
書く文章にもヤングエグゼクティブな感じがでるかとも思ったが、そうでもなさそうだ。

まあ“ちょっとぜいたくな気分のおっさん”で今日のところは我慢しておく。

リズム狂う

普段仕事じゃない日に出勤すると、いつも以上に疲れる。

その「リズムのとれなさ」が、なんかデフォルトになってしまって悔しい。
若い時は、そのあたり臨機応変にできた気がする(気がするだけで気のせいかもしれない)。

そんな疲れた日曜出勤の日ではあったが、ワンカラ1時間してきた。
喉の調子があまり良くなかったけれど、良くないなりに歌い方を工夫できるようになってきたし、「ラクをする」というか、いい意味で手を抜けるようにもなってきた。
結局、練習あるのみだ。

で、夜、ビールを500ml飲んで、睡魔に襲われているのが今現在。
今日は他に書こうと思ったことがあったけれど、それはまた明日。
睡魔に負ける日があってもいいと思う。

突然の再会

2年ほど会っていなかった友人が突然職場に訪ねてきた。

先月LINEで連絡をとっていたので、実際に顔を合わせたのがそんなに前だとは思わなかったのだけれど、けっこうなサプライズだった。

彼女とは確か8年ぐらい前に仕事関連のつき合いで知り合ったのだが、誕生日が2日違いの同い年だったこともあって、それから色々と遊びに誘ってもらったりしていた。
娘さんにすごく気に入られて(多分、お父さんや親戚以外の初めての異性だったからだと思う)、突然モーニングコールをもらったりしたこともあった。その子ももう10歳だという。

突然訪ねてきた理由のひとつが「携帯の充電池のコードを持っていないか」ということだったのだけれど(充電池でも電源コードでもなく!)、そんなささいな理由でも自分を思い出してくれたことが素直に嬉しかったりした。
1月に訪ねてくれた先輩もそうだが、ちょっと落ち込んだ気分でいる時に、それを知ってか知らずか会いに来てくれる人がいる、というのは運がいいな、と思ったりする(もちろん知ってて元気づけてくれる友人はもっとありがたいと思ってますが)。

充電しながら(コードは持っていた)、近況報告をしたり、手相を見せてもらったりして、30分ぐらいの短い時間だったけれど、久しぶりの友人との会話は楽しかった。

それにしても、月日が流れるのは早い、とも実感した。
「巻き」を入れないと人生、あっという間に終わってしまう気がする。
やりたいことはどんどんやらなければね。