『Re:LIFE〜リライフ〜』

ヒュー・グラント主演の映画『Re:LIFE〜リライフ〜』を観た。

一発屋だった脚本家が、仕事にあぶれて田舎町の大学の脚本クラスの講師になって人生を見つめ直すという話。
あらすじからわかるように、ものすごいベタなヒューマン・ロマンティック・コメディだったが、安心して観られるし“裏切らない”ストーリー。

僕はヒュー・グラントが全盛期だった頃の映画を全く観ていないが、この映画の前に『ラブソングができるまで』を観て、それは枯れたヒュー・グラントがすごくカッコよくて、内容も好きなタイプの作品だったので、それと似たような映画だろうな、と思って観たら、予想通りだったので良かった。
それもそのはずで、調べたら脚本・監督が同じ人だった(マーク・ローレンス)。

『ラブソングができるまで』では音楽、この『Re:LIFE〜リライフ〜』では脚本という作品を題材に、モノをつくるということへの情熱や葛藤を軸にして、一度は栄光をつかんだものの、落ちぶれてしまった男の再生を描いている。
ヒュー・グラントの、落ちぶれ加減は“仕事はない”状態ではあるが、そこまでダメ人間にはなっておらず、脚本家としてのプライドは捨てていないというところが、共感できる。あと素直に枯れたヒュー・グラントがカッコいい。若い頃はもっとカッコよかったんだろうけど、なんというか、男からみても憎めないチャーミングな魅力がある(「このおっさんを、好きという女性は見る目があるなー」という感じがするのだ)。マリサ・トメイとの会話も知的でユーモアがあり、こういうカップルは理想だなと思ったりする。

映画好き、ストーリー作り好きにオススメしたい良品。

『キャプテン・マーベル』

非の打ち所のないヒーロー映画でした。

と、それ以上、何も言えない(特にネタバレっていうものはないけれど)、「とにかく見て!」っていう感想の大傑作娯楽映画だった。

もちろん『アイアンマン』から続くマーベルシネマティックユニバース(MCU)のいちファンとして、その集大成である『アベンジャーズ / エンドゲーム』につながるという今作を観るのは必然だったけれど、正直、そんなに期待はしていなかったのだ。
でも、あまりに面白かったので、役者陣についてや、制作のバックグラウンドが知りたくて鑑賞後にパンフレットを買ってしまったぐらい(同じように思った人は多いようで、僕同様、鑑賞後にパンフレットを買い求める人で売店に列ができていた)。
それと、最近のMCU映画が、前作なりその関連作を見ておかないといまいち入り込めない作りになっていたのと違って、単独のヒーロー映画として面白かったのも人に薦めたくなる理由の一つだ。MCUを観ているとわかるトリビアも多いけれど、それを知らなくても話には十分ついていけるし、逆に今回の話は知らないほうが楽しめるストーリー展開かもしれない。

主演のブリー・ラーソンは芯の強さの中にチャーミングさが見えてキャラクターにピッタリだし、コンビを組むサミュエル・L・ジャクソンは、そうそうこういうキャラクターが真骨頂だよね、ということを思い出させるような生き生きとした演技を見せる。
この二人だけじゃなくて、どの役者もハマり役だし、演技が上手い。こういう荒唐無稽な娯楽映画で、演技云々を言うのもなんだけど、逆にこういう娯楽映画だからこそ、演技が上手い人がやると荒唐無稽な世界にも説得力が出るのだろうと思った。
あと、アクション過多ではなく、セリフ劇なのも楽しい。ユーモアのある掛け合いをしながら世界の危機に立ち向かう、というスタイルは007やインディ・ジョーンズのようなスタイルのヒーロー映画のようで楽しかった。最近のMCUは深刻な話になってきているので、そういう肩肘張らず楽しめるのも良かった。
あと、猫!猫じたいも可愛いが、猫と戯れるサミュエル・L・ジャクソンのことが絶対好きになる(ここだけややネタバレ? 笑)。

『キャプテン・マーベル』はMCUの中では「エピソード0」的な位置づけなので、今までMCU映画を観ていなかった人が、これをきっかけにこの世界のファンになったら嬉しい。MCUはただの娯楽映画ではなく、現代社会の問題をベースに描いているものが多いからだ。
2009年にマーベルはディズニーに買収されているけれど、楽しみながら、大きなテーマについて考えさせられるというディズニー映画らしさを持っているところも買収の要因のように思える。

もう一回、劇場で観たいと思うし、ソフトは絶対買ってしまうな、というぐらいのイチオシ映画。
SFが嫌いでなければ、ぜひ観てください。
デートムービーにもいいと思いますよ(僕は独りで観たけどね!)。

『アウトレイジ 最終章』

観るタイミングとしては今しかないだろうと思って『アウトレイジ 最終章』を観た。

件のピエールは予想以上に主要人物で、この物語が動く原因となったりしていて、そりゃあ、自粛になるよね、という感じの出演量。
とはいえ、他のビッグネームの前には、善戦してるなー程度の役回りでもある。

前2作以上に騙し合いと悪人度があがっている感じはしたが、筋道が通っている点では面白かった。
「最終章」という看板に偽りなしの幕引きだった。

それにしても、この映画が自粛になってしまうのは惜しいと思う。簡単には言えないことだけれど、作品と出演者の不祥事はわけて考えられればなーと、そう思った(今ならではの感想)。

『スクール・オブ・ロック』

今さらながらだが、映画『スクール・オブ・ロック』を観た。

型破りな教師が子どもたちにロックを教える、という「ロック版GTO」みたいな内容と思いきや(「GTO」みたことないので想像です)、イケてないロックミュージシャンがニセ教師に成りすまして、10歳の子どもたちとバンドを組み、賞金のかかったコンテスト優勝を目指す、という内容だった。
なのでロックの歴史的な説明はあんまりない。

硬すぎる名門校の真面目な生徒達が、主人公と触れ合うことで、人生は型通りでないことを知る。最終的には大団円で、ステレオタイプな展開ではあるけれど、スカッとした。
それは、この映画で描かれる、子どもたちの内に秘めた鬱屈や情熱ややるせなさは、大人でも持っているからだと思う。社会に出ても、ほとんどの人が(程度の違いはあれど、)この映画で描かれる子どもたちと同じ思いを抱えているからだろう。僕だってそうだ。

「ロックは反抗の意味だ」とこの映画では言っているけれど、なんでもかんでも反抗するのではなく、「自分の生き方を通す」という意味で考えれば、実は人生で「ロックする」のは簡単ではない。ただ、そういう生き方をカッコいいと思ってくれる人もいるはずだ。
この主人公は、決して“いい人”には描かれてはいない。ただ、その「突き通す生き方」は子どもたちの心をつかみ、触れ合った人々の心もつかむ。
テーマはロックだし、音楽の力(楽しさ)がメインではあるが、そういう「生き方」をテーマにした清々しい映画。
コメディならではの、すべて上手くいく大団円のハッピーエンドも悪くない。

自分の生き方をちゃんと見つめ直そう、という気分になる映画(こんなに破茶滅茶だとマズイけどね)。

『ズートピア』

ディズニーアニメ『ズートピア』を観た。

そこかしこから聞こえてきた「とても面白い」という噂に違わずとても楽しく観た。これまた図らずも僕が好きな「バディもの」で、そのあたりも楽しめた要素。
主人公ジュディの表情が『シュガー・ラッシュ』のヴァネロペとそっくりだなーと思ったら、監督が同じ人(リッチ・ムーア。この映画だと共同監督だけど)だった。

肉食動物と草食動物の分類が、この映画だと差別と区別についての下敷きになっていて、それは今のアメリカの抱える問題の隠喩なんだろうと思う。目的のためなら、多少の手段の倫理的逸脱もやむを得ないと嘯く者や、善人のようでいて、これまた目的のためには冷徹に物事を実行する者、そういう人たちが権力の中にいるのだ、という風刺が垣間見られる。
そうした舞台のズートピアは理想のアメリカ合衆国でありつつ、結局、差別意識や偏見から逃れられない現在のアメリカの姿を描いている。
夢を叶えようと思えば、誰にでも叶えるチャンスはあるといいながら(それは確かに真実を含んでいるけれども)、実力だけではなく、出自も問われてしまうのだ。このあたりが深い。

とはいえ、それを声高に主張するわけではなく、ウサギ(草食)のジュディとキツネ(肉食)のニックのバディぶりと、小気味のよいアニメ展開を楽しみながら、こういう大きいテーマについて考えさせるあたりがディズニーの真骨頂なんだろう。

ジュディ役の上戸彩はなかなか良かった。続編が作られても声優は同じままにしてほしい(ディズニーは声優選考が厳しいから、多分変わらないだろうけれど)。

夢に向かって頑張れば乗り越えられること。差別という問題を抱えながらも、それを克服して、皆で共により良い社会を目指そうとする思いを大切にすること。
そんなことを思わされる素敵な作品だった。

『ナイスガイズ!』

ラッセル・クロウとライアン・ゴズリングのバディもの、『ナイスガイズ!』を観た。

バディもので肝心なのは、とにかく相棒を組む二人の相性が良いかどうかに尽きる。それはキャラクターによるものだけでなく、俳優同士の相性にもよる。
とりわけ仲良しでなくてもいいと思う。仲が悪くても、ちゃんと噛み合いさえすれば、観ているほうとしてはきちんと「バディ」として観れる。
最悪なのは、お互いがお互いに興味を持っていない場合。これは二人で主役、という意志がなく、俺が主役でお前が脇役、という感じで演じてしまっているのがミエミエで、全然噛み合わないので面白くない。
僕が観た中では『ショウタイム』のロバート・デ・ニーロとエディ・マーフィ、『ゴースト・エージェント/R.I.P.D』のジェフ・ブリッジスとライアン・レイノルズがその例で、これはもうバディものとして観てるのが辛くなるレベルだった(『48時間PART2』もエディ・マーフィが大スターになってしまったがゆえにニック・ノルティが完全に引き立て役でガッカリした)。

さて、そういう点で、この映画はちゃんと「バディもの」しているのが良かった。腕力勝負の示談屋とろくでなし探偵といった、デコボコというよりボコボコなコンビが面白い。
コントみたいなコメディシーンが多いのに、展開はハードボイルドなのも70年代を舞台にしているから雰囲気に合うのだろう。

それと、二人のバディぶりをさらに魅力的にしているのが、ライアン・ゴズリング演じる探偵マーチの娘ホリー。しっかりしているができすぎない、でも芯が通っている、という彼女の存在が2.5人組のような関係を作り出している。

『アイアンマン3』が僕的にはひどかったので、シェーン・ブラックの映画に対してあまりいい印象はなかったけれど、この作品は面白かったし、続編があるっぽいつくりなので、期待している。
ぜひホリーを演じるアンガーリー・ライスが大きくなる前に作ってほしい。

軽く笑えるバディ活劇としてオススメの1本。

『エクス・マキナ』

ケーブルテレビで放送された『エクス・マキナ』を観た。

この映画は観たいような、でも自分の苦手なタイプのようなで、録画していたものをしばらく放置していたのだけれど、気になったままだと心身に良くないので意を決して観た(それほどのものじゃないか)。
で、予想は半分当たり、半分ハズレ。苦手とまではいかないが、好きなタイプではなかった。
ひとことで言えば「マッドサイエンティスト VS 人工知能」で、さあアナタはどちらにつくか?という展開。

オチは観てください。

とにかくAI役のアリシア・ヴィキャンデルが可愛くて、そりゃあ惚れるだろうと。美人で知的で純粋で無垢。
惚れる要素満載で作られているのだから、主人公だけでなく、映画を観てる男性が彼女(といっていいのかね)を「好ましく思う」のは当たり前だし、それはズルい。
映画の中で、なぜAIが女性型アンドロイドでなければいけないのか、というエクスキューズは一応あるが、作品としては「そうでないと話が進まないから」ということだ。

二次元キャラへの恋愛の警鐘なのかなーと思ったりもするが、それは特に語られない。
というか、AI含め、遺伝子操作などの人類の、神の真似事への警鐘が、この映画の根底にはあるのだろうと思う。ちょっと危ぶみすぎな気もするけれどね。

でも、この映画を見終わって思うのだ。
たとえばSNSで個人として存在しているアカウントは本当に個人なのか。
もっと言えば、教えてもらったLINEのやりとりは本当に“その本人”がやっているのか。本当はSiriがやっているんじゃないのか。
僕らは毎日、そうやってチューリングテストをさせられているんじゃないだろうか。

そんな、ゲシュタルト崩壊をちょっと起こす作品。
まあ、基本、信じていきましょう。

ちなみにこのブログは100%本人が書いています。
(AIのほうがもっとカッコいい文章書けるはずだ)

『人魚姫』

シャウ・シンチーが監督した『人魚姫』(2016)を観た。

当時、劇場に観に行こうかと思いつつ、その前に観た『西遊記〜はじまりのはじまり〜』が面白かったけれど、けっこう細かい描写がエグかったので、スルーしてしまったのだった。それから2年経ってケーブルテレビで観た。

話は単純で、お金のためなら環境破壊も気にしない大富豪と、それを阻止するために刺客(ハニートラップ)として送り込まれた人魚の恋を描いているのだけれど、どこかマヌケでシュールな感じは一連のシャウ・シンチー映画っぽい。話は深刻なのに、どことなく牧歌的なのでユルく観れる。
環境破壊や行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らしているようで、それをひとつの題材としてラブコメディにしているあたりが押し付けがましくなくて良いし、純粋(というか素朴)な二人の愛情を前にすると、そういうメッセージ性を別にして、二人の恋を応援したくなる。
概ね大団円なところも楽しい。

自分のやってきたことが、多くの人(今回の場合は人魚だが)に悪影響を与えていることに、ヒロインと出会ったことで初めて気づき、自分のこれまでの行いを見直す展開は『アイアンマン』を思い出すし、それからの主人公の行動には胸が熱くなった。
あと、主役二人が愛すべきキャラクターでとても良かった。

笑って楽しんで、ちょっと社会問題を考える契機にもなる、という点からすると、けっこう映画として「王道」なんじゃないかなと思ったりした、愛すべき作品。

『アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜』

ポスターやタイトルからして、僕はこの映画はきっと甘酸っぱい恋愛映画なんだろうなーと思って、見たいような観たくないような思いでずっとスルーしていた。

わりとその予感はあたっていたのだけれど、すごい面白い映画だった。観ておいてよかった。甘酸っぱいけれど(前半が特に)、心地よい映画。

主人公が「タイムトラベル」というものすごい能力を持ちながら、善人で良かったなーと思う。
結果のわかっている株やギャンブルで大金を稼ぐ、というえげつないことに使う発想はなく、「ちょっとあのひとことを言わなければ良かった」とか「あそこにいかなければよかった」というのをやり直すことにだけ使い、自分と自分の大切な人々がより良くなる(それもズルっぽくない程度に)ために、ちょっとした失敗をやり直す程度にとどめているのが良い。
そして、その「善きこと」をしたせいで自分がピンチになるんだけれど、それでもギリギリまで能力を使わずになんとかしようとするところも、滑稽だけれどカッコいい。

自分が運命の女性だとわかったメアリーとどうやっても一緒になろう、しかも、彼女の気を引こうというところも可愛らしい。すごく恋愛をしたくなる。
そして主人公が歳を重ねるうちに、自分の大事なものが、恋愛から家族そして人生という大きなものに変化していく様が描かれていて、素敵な作品。

あと、とにかくレイチェル・マクアダムスが可愛い。
『シャーロック・ホームズ』でも『ミッドナイト・イン・パリ』でも可愛かったけれど、ちょっと鈍くさいけれど知的で美人という役柄が特に良く似合っていた。惚れるよ。

この映画のようにやり直しはできないけれど、それでも、毎日真剣に人生やっていきたいよね、としみじみ思う。

『ボヘミアン・ラプソディ』

僕が初めて「クイーン」を聴いたとき、フレディ・マーキュリーはすでに亡くなっていた。

大学の友人が大ファンで、彼から「グレイテスト・ヒッツ」(vol.1)を借りたのがきっかけだった。その後、自分でそのCDを書い直して、学生時代と卒業後の一時期はやたらと聴いた。

当時、クイーンが有名なアーティストであるということはわかってはいたけど、僕にとってはベスト盤しかもっておらず、洋楽なら他にビリー・ジョエルやヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、フィル・コリンズのほうが好みだったので、知識としては「フレディ・マーキュリーがAIDSで死んだ」ということぐらいで今日まで来た。
だから、この映画を絶対観よう、という気はなかったものの、やたら評判が良かったので、やっぱり観てみようと思ったのだ。

さて、フレディ・マーキュリーの自伝というより、あくまでも「クイーン」の歴史を、彼を中心として、バンドの結成から再結成して出演したライブエイドまでを映画化したもの。
もちろんフレディ・マーキュリーという唯一無二のアーティストの存在は大きいものの、このバンドが、決してワンマンの力でのし上がったのではなく、それぞれが影響しあって偉大なバンドたりえている、というのが面白かった。
とくにブライアン・メイのまとめ役としての能力がなかったら、このバンドはもっと早くに空中分解して、元の鞘に戻ることもなかったのではないかと思う(まあ、この映画で描かれていることが事実なら、だけど)。

実話をベースにしているので、フレディが破滅へと向かっていった原因が「あいつ(観た人はわかりますよね)が全部悪いんじゃねえか!」という描かれ方が本当なのか(っていうかあれでいいのか?)という点や、バンドとして挫折がなさすぎるのはストーリーとして気にはなったが、フレディの孤独や、アーティスト、そして人間としての魅力が伝わり、それを踏まえてのクライマックスであるライブエイドの歌唱シーンは、彼のそれまでの人生と歌詞の内容が相まって泣けた(さほど良い曲と思っていなかった「レディオ・ガガ」もすごく良かった)。

フレディ・マーキュリーの人生で、彼がゲイ(バイ・セクシャルとも言えるが)であることを描くのは避けられないけれど、それをブライアン・シンガーがどう描くのか(あるいはゲイのアイコンにしすぎるのではないかと)、途中でちょっと頭をよぎったけれど、最終的に、ゲイだろうがなんだろうが、人間としての付き合い、つながりで、メンバーや周りの人間が彼を「ひとりの人間」として付き合っていることも感動的だった。

あと、この映画がヒットしている理由は、観た人それぞれで心を揺さぶられる部分が違って、そして、ともかく自分の人生と重ね合わせて考えさせられる部分が多いからだと思う。
映画の中で、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞が「意味がわからない」と指摘されたときに、「歌詞は聴く人それぞれに委ねる」というようなことを言っていたのだけれど、それと同様に、映画の意味を「観る人それぞれに委ねられる」作品。

「クイーン」というバンドの偉大さを痛感するとともに、映画としてのスケールの大きさも実感する。確かに凄い映画だ。
そして、当然のごとく「グレイテスト・ヒッツ」を(今度はVol.2も含めて)買いたくなってしまった。
映像の力と音楽の力をまざまざと見せつけられる映画だった。