回復基調

よく寝た。

9時間16分。
快眠度は93%で、友人が「このアプリは睡眠時間が長ければ快眠度が高くなる」と言っていたけど、結局、そういうオチなのかもしれない。
でも、おかげで朝起きてから体調はすこぶる良い。なんとなくやる気もでている。睡眠ってやっぱり大事なのだ(←暗示にかかりやすいタイプ)。
ただ鼻をすすり気味で、喉もイマイチ本調子ではないが、考えてみたら喉については絶好調な日のほうが少ないので、これは平常運転なのだろう。

思い立って『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』を再度鑑賞。
3Dで観るチャンスは今日しかなかったので、予定を他にやりくりして、前回同様IMAX3Dで鑑賞してきた。
色々な意味で「映像」が肝の作品なので、せっかく劇場で観るなら没入感の高い3Dのほうが良かったのだ。

前回観た時も「傑作」だと思ったけれど、2回目観たら「大傑作」に評価が上がった。
謎がすべてネタバレされた小説を読み直す感覚なんだけれど、それゆえの安心感もあり、逆に、この場面でこのキャラクターはどういう思いでいるのかを見抜こうと、それを演じる役者の演技に注目しながらの鑑賞が超楽しかった。
あと前回も一ヵ所泣いたシーンがあったけど、今回は2ヵ所で涙ぐんだよ。
よくできた脚本、アクション映画としてのテンポの良さ、さらに全体を通してのコメディセンスといい、シンプルな恋愛観といい、僕の好きな映画の要素が全部入ってるから、好きなんだなーとも改めて思った。
同じ映画を2度劇場に観に行くというのは、僕にとっては珍しいことなので、ブルーレイまで待つか、とも考えたのだけれど、1回目を見終わってから、ずっと「あのシーンはどうだっけ?」とか「あそこでどういう態度だったっけ?」と、モヤモヤしていたものが、今回スッと解消された。
あとハッピーな気分で映画館を後にできた。前回の鑑賞後は自分が思っている以上に打ちのめされてたんだと気づいた。
そんなわけだから、気になっているものは、とっとと済ませてしまったほうが良いのかもしれない。

それから、来週、思いがけずにまた“夢の国”へ行くことになったので、本気のタイムスケジュールを作り始める(前回うまくいったので味をしめた)。
ただファストパスの仕組みが変わったり、新アトラクションが始まったり、なにより夏休み期間といった部分で、展開(混雑具合)が読みにくい。でも準備だけはしておくのだ。

その「夢の国計画」を立てるのと、ブログ更新のために、喫茶店で作業しようと思ったら、夏休みのせいか、どこの喫茶店も混雑していて、ようやく4件目の喫茶店で落ち着いて、このブログを書いているのだ。
夏休み侮りがたし。

若いカップルとか(カップルってなんであんなに楽しそうなんだろう)、はしゃぐ子供たちを見たりして、夏を満喫してぇなー、と思いつつ、今日はおっさん同士の飲み会。
それもまあひとつ「満喫」だ(よね?)

みなさんも夏をエンジョイしましょうね!(ややヤケ気味)

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

リブートした『スパイダーマン』映画の2作目であり、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で一旦ケリのついた物語の後日談でもある。

ネタバレはしていませんが、察してしまう部分もあるのでご了承ください。
事前情報なしで観たい方は、観てから読んでいただけると嬉しいです。

『アベンジャーズ』でめちゃくちゃになってしまった複雑な設定を力技でまとめていて、前作の「明るく楽しい娯楽ヒーロー映画」路線になんとか軌道修正してスタートさせたのがすごい。

ピーター・パーカーがアイアンマンの庇護から離れて一人のヒーローとして成長する過程が、『アイアンマン』第1作をなぞる部分もあってファンとしては嬉しい。
単純な感想としては、MJ役が「ブスかわ枠」になっているのはコミックからなのか、キルスティン・ダンストの影響なのか(いや、キルスティン・ダンストもゼンデイヤも可愛いですよ。でも典型的美人ではなくて。そう考えると、『アメージング・スパイダーマン』でエマ・ストーンが演じた恋人がグウェン・ステイシーだったのは「あえて」のような気もする)とか、新レギュラーのアンガーリー・ライスが可愛いとか、役者としてのジョン・ファブローが生き生きしてて、やっぱりこの人好きだわーと思ったとか、そういうものになるのだが、本筋は、最後までフェイクとリアルの区別がつかない展開で、頭がついていけなくなった。

マーベル映画は、単純なヒーローものではない。
X-MENは差別の物語だし、キャプテンアメリカでは、国家の正義の欺瞞を描いたり、そういう何かしら考えさせられるものが込められてはいるけれど、今回は「仮想現実による嘘」という、とても身近な脅威を描いている。
僕たちは知らず知らずに深刻な問題に直面していて、同時に信じることの難しさを痛感する。僕らは簡単に騙されてしまう世界にいるのだなー、とこの映画で思う。そこにリアルな映像が入っていたら、まあ大抵のことは信じてしまう。
昔、『バトルランナー』という映画があって、主役のシュワちゃんがニセの映像によって無実の罪を着せられるのが発端なんだけれど、もう、そういうのが現実に起こりうるという世界に僕らは生きている。
ここ数年で(おそらくそれはトランプが大統領になってからだ)「フェイクニュース」という言葉が当たり前に使われるようになった。そして「フェイクニュース」というものが本当に「嘘」なのか、そうでないか、ということも含めて、僕らは判断を迫られる時代になってしまった。
この映画の展開は、そういう社会的なメッセージを持ちながら、作品自体の中でも、観客を惑わすような仕掛けが入っている。

映像技術や編集技術が進むと、悪意をもってそれを使っている人には敵わないよなーという漠然とした恐怖を感じる。
今回の敵は、戦闘能力は皆無なのに、技術と心理戦に長けていて、たとえスパイダーマンであっても苦戦を強いられるというのが面白くもあり、怖くもあるのだ(だって僕らには危機を察知できる「スパイダーセンス」がないんだもの。イチコロだよ)。

さらに、そういう思いを強くさせたのが、恒例のエンドロール後のシークエンス。
いつもは「オマケ」的なものなのに(前作のなんか、本当にひどかった)、今回は作品の根幹に関わる部分を描いていて、その衝撃が全部持っていったからでもある。
さんざん、本当か嘘か、現実が仮想現実か、というのを劇中やってきたのに、さらに追い打ちをかけるように、「え?そういうこと?」と思わされるオチ。
小説で言えば「叙述トリック」のようなことをやっているのだ。
最後まで観終わった後に、「あの場面のアレってどうだったっけ?」と、もう一度確認したくなるように作られている(観なおさなくても、あるキャラのあるセリフに違和感があったのが、これで納得したりした)。

そういうことを考えると、外見は「快活な青春娯楽ヒーロー映画」でありながら、マーベル・シネマティック・ユニバース作品の中でも異例の「ミステリー映画」になっている。心理的にジワジワくるタイプ。
こういうの好きだけど疲れる(でも、確認のため、もう一回観たい)。

信じることの難しさを描くのに、お人好しのピーター・パーカーは最適だったのかもしれないし、敵からも同情されるほどの彼の善人さがよけいに際立ち、応援したくなる。いつまでもピュアな青年でいてほしいと思うし、軽口を叩きながら戦うスタイルを続けてほしい。

そんな「えー、どうなってんの?」的なラストだったので、次の展開がどうなるのか、すぐに観たい。
単独映画は早くて2年後ぐらいだろうが、MCUに組み込まれているから、他の作品で「その後のスパイダーマン」は少し描かれるのかもしれない。単独映画として成立しているのに、続きが気になって仕方がない。
長生きせねば。

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』を見た。

タイトルからして、マーティン・フリーマンが『SHERLOCK』で有名になった後、日本でDVD化したパターンだろう。
現題は『Nativity!』でクリスマスのキリスト生誕の演劇を題材に、教師と生徒の交流を描く“典型的な”ファミリー向けコメディ。イギリスでは好評だったらしく『3』まで作られている(マーティン・フリーマンは『1』にしか出ていない)。
それなりに楽しく観れて大団円、といった王道さは、安心して見ていられた。

マーティン・フリーマンは、こういう、ちょっと“こじらせた”大人の役がよく似合う。そして上手い。
冷めた目で世間と距離を置き、皮肉を言いながらテキトーに過ごすが、何か(誰か)に巻き込まれたときに、イヤイヤながらもそれに付き合い、なんだかんだで期待以上に成果を上げる、という感じ。この映画の教師役しかり、『SHERLOCK』のワトソンしかり、『ブラック・パンサー』のエヴェレット・ロスしかり(考えたら『ホビット』のビルボもそんな感じじゃない?)。

なんというか、しれっとしながら「ここぞというときに頼りになる」キャラクターが多い。そして上手い。
その姿を見て、イギリス人って厄介だなーと思いつつ、その「愛すべき厄介さ」(僕はこれ「男の可愛げ」だと思うんだけれど、女性にはあんまり同意してもらえない気がする)を体現できる俳優なんだと思う。好きなタイプの役者さん。

とか書きつつも、そんなに彼の出ている作品を見ていないのだけれど(『SHERLOCK』はケーブルテレビでしょっちゅうやってるイメージの「ピンク色の研究」をいつも斜め見する程度だし)。今さらながら、追いかけていきたいと思う。

『ザ・カンニング IQ=0』

『ザ・カンニング IQ=0』を観た。

これが「フランス映画」ということを今さら知った。
日本公開は1982年で、当時、この映画をヒントにした日本のコントを見た気がするが、それは「ひょうきん族」だったか「ドリフ大爆笑」だったか。

実際にカンニングする場面がでてくるのは物語の後半で、あとは、いかにサボるかと、教師にイタズラするかということに邁進する予備校生の姿を描く映画。
予備校を舞台にしたショートコント集のような構成で、やってることは本当にバカバカしい。でも、コントをつなげたような同じ構成のハリウッド産『裸の銃を持つ男』や『ホットショット』に出てくる、大爆笑かスベるかといった一発ギャグを連発するというのではなく、クスリと笑えるようなものが続くのが、フランスならではだろうか(“エスプリが効いてる”って奴?)。
いや、それでも相当やってることはくだらないが(えげつないのもある)。

主演はダニエル・オートゥイユで、この映画のヒットで人気が出たらしい。
今では渋い演技派というイメージで二枚目の印象はないけれど、さすがに主役を張るだけあって、この時から華がある。あとアクは強いが顔立ちもそこそこイケメン。

とことん教師をバカにして出し抜こうとする学生と、それをあえて受けて立つ教師の応酬に、なんでここまでやるかなーと思ったりするが、学生ってそもそも、すごくくだらないことに一生懸命になる年頃のように思うし、それはフランスも同じならば、と、ちょっと微笑ましかったりした。

大人になると(興味のあることに関してだけど)、言われなくても勉強するというか自分から学ぼう、と知識欲が活発になるのに、なんで学生って勉強したくないんだろうと考えてみると、勉強はすぐに効果が出るものではないから「かったるくてつまんない」というのと、それなら、もっとすぐ享受できる楽しい娯楽や恋愛をしていたい、と思うからだろうな。
それが若さというものだろう。こう、感覚的に「楽しい」ものに惹きつけられるのだ。
とはいえ、大人になっても、大事なやるべき仕事に手がつかず、漫画読んじゃったりする時もあれば、感情的になってバカをやるときもあるから、この映画で描かれている応酬は、正しく「若者VS大人」なのかもしれない(コント映画でそこまで考える必要ないね)。

続編もあるので、それも観て、フランスのコントについてもうちょっと「勉強」してみたい。
カンニングなしでね!(スベった)

脱力

今月に入ってから、頭にずっと引っかかっていた仕事上の気掛かりなことが今日終わった。

良かったのか悪かったのか、は、後になってみないとわからないのだけれど、ともかくは解放された感じだ。
頭に引っかかっていたと言えども、それほどのことでもないと思っていたはずが(どっちだよ!)、想像以上に緊張していたのか、終わった途端に軽い頭痛がしてきた。悪化しないように気をつけよう。

さて、これが片付いた後にやろうと思いついたことが自分の一番やりたいことなのかなー、などと考えていたのに、ちょっと何も思いつかない。
強いて言えば部屋を片付けたい(強迫観念に近いな)。
一日寝たりすればまた考えが変わるのかもしれないから、とりあえずゆっくり休もう。

そんな中、ようやく『アベンジャーズ エンドゲーム』を観た。
自分のマーベル鑑賞歴を(一旦)完結させようという思いと、ネタバレを回避できない、という思いがちょうど合わさった日に観れた気がする。
ずっとこのシリーズに付き合ってきた者としては納得の内容(予想したものとは違ったけれど)。詳しくはまた今度。
ただひとつ言っておくと、完全に「いちげんさんお断り」の映画だから、これだけ観てもちっとも面白くないと思う。これを観てから、シリーズを遡るというのもオススメしない。デートムービーでもないので、カップルで観にいくなら二人とも「マーベル大好き」じゃないと、知らないほうが置いてけぼりになっちゃうゾ!
あ、僕?僕は一人で観たから大丈夫(ほっとけ)。

さて、明日からまた仕切り直して頑張ります(このブログもね)。

『デッドプール』

『アベンジャーズ エンドゲーム』をまだ見ていない。

『アイアンマン』を観て大ファンになって以来、僕は、それからこのマーベル映画シリーズ(マーベル・シネマティック・ユニバース=「MCU」)の作品は全部観てきたわけで、その集大成である『エンドゲーム』は公開初日に観に行って良いはずなのだけれど、これが最後だと思うと、なかなか観る勇気がないのも事実。
すごく楽しかったロールプレイングゲームの最後のダンジョンで逡巡したり、面白い小説の最後を読むのを躊躇うという気分に近いのかもしれない。
でも、そろそろネタバレをネットで拾ってしまいそうなので、近々観ます。

『エンドゲーム』が観れないから寄り道、というわけではないが、同じマーベル映画(でも配給会社が違うので「MCU」とのつながりはない)の『デッドプール』がJ-COMでやっていたので観た。

アメコミヒーロー映画ではあるが、デッドプールは復讐のために自分を改造した奴らを始末するアンチヒーローのような存在で、そのキャラクター同様、映画もヒーロー映画を皮肉るような演出が満載。前半はちょっとグロっぽいのもあるので食事をしながら観るのは危険だな、と思った(実際にそうなった者の感想です)。

アクションは派手で、スタイリッシュだが、基本は悪趣味コメディで、そのノリが好きならば楽しめる。ヒットして「2」まで作られたところを見ると、このノリが受け入れられたのだろう。アメリカだけでなく日本でも受け入れられたのは不思議だけれど、考えてみれば『テッド』も悪趣味コメディなのに、テッドの可愛さだけで大ヒットしたしな。『テッド』と言えば、当時、日曜の銀座に見に行ったら満席で、友人(男性)と離れた席で見た。まわりほとんどカップルだったが、あの映画はカップルで見るもんじゃない。あの時、劇場にいたカップルたちの行く末をちょっと知りたかったりする(下世話)。

話がズレたが、『デッドプール』はヒーロー映画としては王道ではないが、アンチヒーロー映画としては王道な出来。
マーベルスタジオも、この映画の配給会社である20世紀フォックスも、ディズニーの傘下になったことで、デッドプールも「MCU」に参戦するのでは?という噂もあるが、これはこれで独自の道を行ってほしい気がする(パロディはよりやりやすくなるだろうし)。

『グリーンブック』

映画『グリーンブック』を観た。

第91回アカデミー作品賞を受賞した作品で、黒人差別がテーマの映画。
大作ではないので、そのテーマがアカデミー賞をとった一因かなと思う部分はあるが、アカデミー作品賞という冠がなくても、すごくいい映画だった。

「黒人差別」と言っても、僕にはあまりジャストでピンとこない部分がある。当然その歴史は知っているのだけれど、アメリカで根付いている「差別」というのは僕のような日本にずっといる日本人が考えるよりも、実際に体験をしている人たちの実感にはとてもかなわない。
学生時代に国際法のゼミをとっていた友達が、差別について論文を書こうとした時に「色」と言う言葉を論文のタイトルに使おうと思ったら、担当教授から「色」と言う言葉自体がもう差別なんだよって言われた、と聞いてなんとも難しい世界だなと思ったりしたが、実際にこの映画の中では法律で黒人が差別されても良い、差別するものなんだということが常識になっている時代が舞台になっている。

なのでテーマは重いのだけれど、ただこの映画が素敵だなと思うのは、そういう環境にある物語でありながら、メインになっているのが、2人の男性の理解のしあい、友情の育みで、大上段から差別がどうの、差別がいけないみたいなことを訴える映画ではないことだ。だからこそ、より差別について考えさせられるのだけれど。

ただただ黒人差別の法律があるという理不尽さが淡々と描かれていて、そこでやはり主人公2人はぶつかるし、悩む。
特に黒人ピアニスト ドクター・シャリーは天才的なピアニストで、アーティストとしては賞賛されるのに、一個の人間になった途端に差別が始まる。
あからさまな暴力などは、例えば夜の飲み屋とかで行われたりして、それはもちろん衝撃的ではあるけれど、それ以上に普通のレストランに入れないとか、洋服が買えないとか、店の人や警察が「まぁ黒人なんだからそういう扱いをするの当たり前でしょ」と考えているシーンが出てきて、これが法律で決められてるって、やっぱりこれは理不尽だったよね、っていうことを自然に思えてくるのではないだろうか。

主人公トニー・リップを演じたヴィゴ・モーテンセンは、本当に上手い。
ニューヨークの下町育ちで、多少の悪事も全然大丈夫、何事にも動じないみたいな、そういうキャラクターを違和感なく作っていて、粗野なとっぽい感じの、でもあのどこか憎めないお茶目さがあるところが面白い、いいキャラクターを演じていた。
ドクター・シャリーを演じてアカデミー賞をとったマハーシャラ・アリも、何事にも動じない信念の強いアーティスティックな面と、(黒人としてだけではない)彼ならではの孤独さが伝わってきた。

この映画は差別という重いテーマを持ちながらも、基本的に笑いの部分、それはズレの笑いだけど、2人の環境のズレとか、生きてきた世界観とか、見ているものの違いからくるズレをおかしく描き、結局“珍道中”になるところがあって、そのやりとりの面白さ、おかしみみたいなものがとても楽しい。
黒人が差別されて当たり前という南部に、いかに凄腕の用心棒というか、揉め事処理屋みたいな人を雇っていくとしても、やっぱりそれは大変な挑戦で、命の危険に晒されてドキドキハラハラするシーンもあるが、最後の最後までとても良い映画だった。
もちろん差別について色々と考えさせる作品だけれど、それ以上に、違いの多い二人が友情をはぐくみ、お互いに理解が生まれるという点に、人と人のつながりの可能性を感じて胸を打たれる。
とても素敵な映画です。

『バーフバリ 王の凱旋』

インド映画『バーフバリ』の完結編

この映画は『1』と『2』で前後編になっているので、両方観てやっと納得、という感じ。
どちらかだけ観るとなると、『2』のほうが面白いと思うが、『1』で主人公(特に先代バーフバリ)の人となりが描かれているので、『2』だけだとキャラクターに感情移入しにくいだろう。
いずれにせよ、片方しか観ないと魅力は半分以下になる。
時系列としては『1』が「現代パートの“起承”→過去パートの“起承”→現代パートの“転”」、『2』は「過去パートの“承転結”→現代パートの“転結”」となっていて、なかなかややこしい。

『1』でもそうだったけれど、現代のバーフバリは生まれつき超人(特に戦闘能力の高さ)といった感じなのに対し、先代バーフバリは天賦の才のみならず、良君に育ったという過程が見えるので、主人公としては先代の方が魅力的。
息子である現代バーフバリと同じ役者だし、設定的に「生まれ変わり」っぽさもあるので、同一視して見ればいいのだろうけれど、そのあたりがやや乱暴かなーと思った。

乱暴なのは、話の展開もそうで、聡明なはずの人がわかりやすい計略にみるみると嵌っていくのが若干イライラしたし、退屈もした。
そこには親子関係や嫁姑関係などいろいろなものがあって、結局は誰しも人の業には抗えないという深いメッセージがあるのかもしれないが、ストーリーとしては単純な流れ。
ただ、これが古典や神話だと思えば、元来、古典や神話はわかりやすく単純な筋書きなのだから、細かいことは言いっこなしで単純に楽しんでください、ということなのだろう。

『1』でJRPGっぽいと感じた世界観は『2』だと、より「スーファミ時代のスクウェア」っぽい感じになって、そういうの好きだった人はより世界に浸れるだろう。
アクションも『2』はより派手、かつ人間離れしたものになって痛快。
特に弓矢のシーンはカッコ良すぎて笑える。バーフバリという伝説の超人の大活躍を楽しむ映画、としては確かに面白かった。

そんなわけで、漫画的な戦争伝記映画としてはハリウッドに負けてない。
というか、その独特の世界観は日本のほうがウケるのだと思う。
そういうジャンルに興味があれば、ぜひ『1』、『2』両方観てください。

韓国映画『LUCK-KEY』

韓国のコメディ映画だけど、原案は邦画の『鍵泥棒のメソッド』らしい。

僕は『鍵泥棒のメソッド』のほうを観たいと思いつつも未見だったので、リメイク版である今作(厳密には原案だけらしいが)を先に観てしまった。
リメイクだと知ったのは観た後なので、事前にそれを知っていたら多分後回しにしたと思う。ただ良質のコメディだったので、観て良かった。

主人公がイカツイおっさんの殺し屋で記憶喪失になって、手にしていた身分証明書などから、自分を売れない役者(しかもだいぶ年若)だと思い込む。
ただ素性が殺し屋なので、包丁を扱えば器用にカリナリーアートみたいなことはできるし、アクション(喧嘩)はお手の物だし、そのあたりの「本当は凄腕なだけに無意識でできちゃう」という点を楽しめるコメディ。
基本的に登場人物がみんなどこか抜けている“いい人”たちなので(悪役まで憎めない感じ)安心して見れるし、基本ハッピーエンドな感じが良い。
こういう「あからさまなコメディ」にはやっぱりハッピーエンドが似合う。

主役を演じるユ ヘジンは脇役として活躍している俳優さんらしく、イケメンではないし普通のおっさん然としているのだが、どことなく愛嬌があり役にぴったりハマっている。
記憶喪失をしたからといって、人間、ピュアになるわけではないだろうが、看護師との不器用な恋愛や、その家族との微笑ましいつながりも、途中から全てにおいて本当に応援したくなる感じ。

漫画的なコメディとして明るい気分になれる作品だった。
次は『鍵泥棒のメソッド』も観てみたい。

インド発ファンタジー 『バーフバリ 伝説誕生』

ネット界隈(主にTwitter)で大評判だった『バーフバリ 伝説誕生』を観た。

インド映画をちゃんと観るのは初めてだ。
『きっとうまくいく』をナナメ観したことはあるが、あの映画はインド映画(というかボリウッド映画か)では必ず言われる“歌って踊って”のシーンはなかった気がする(ちゃんと観てないので違ってたらすみません)。

さて、この『バーフバリ』。王位継承者である赤ん坊が、内戦に巻き込まれて孤児として育てられ、運命に導かれるようにして自分の王国へ戻ってくるというストーリーのファンタジー活劇。
インドが舞台というだけでなく「メイド イン インド」の映画のせいか、どことなく抹香臭いファンタジーに仕上がっている(たとえば『アラジン』は中東ペルシャの話だけれど、ディズニーのにそういう印象ないよね ※補足 調べたら『アラジン』の舞台アグラバーっていうのがインドのアーグラがモデルだそうで、まさにインドの話みたいです)。

で、あまりに大評判だったせいか、ハリウッドの大作のようなものを期待して観ると、特撮(CG)はちゃさいし、アクションもそこそこといったところ。
ただ、後半に戦争シーンがあるのだが、これは物量と撮り方で迫力があった(金かけてるなーと思った)。

主人公がはルックスはいかにもインドの人だけれど、キャラクターはカッコいい。男性力が強いというか“マッチョ”なキャラなので、“ジェンダーフリー”だなんだと言われる昨今でも、インドではこういうキャラがカッコいいとされているのかな(「王子」という地位からイメージされるキャラクター像なのかも)と思ったりした。

それから歌は状況説明として使われていた。ナレーションを歌にしている感じ。意外にも踊りはなかった(よね?)。
もちろんセリフを歌う場面もあるが「ミュージカル」とはそこが違う感じ。
『ムトゥ』とかもそうだったのだろうか。あれはインドの「ミュージカル」だと思っていたのだけれど(未見のくせに)。

さて、この映画がちょっとモヤっとするのは、途中から突然「先代バーフバリ」(演じるのは同じ人)の話になってしまうところだ。
それも、シームレスにつながっている感じで、「あれ?今のバーフバリどうなった?」と、しばらくの間、置いてけぼりになった。これはもう昔の話で押し切るのだな、と踏ん切りがついてからは落ち着いたけれど、そんなふうに前半は不遇の王子の冒険活劇、後半が先代バーフバリの戦争エピソードになって、話の展開が急。
途中から違う映画を見た感じになってモヤっとした。

それでも、先代が活躍する戦争シーンは、前述した通りに見応えがあって、敵をなぎ倒すガジェットのついた騎馬や、伸びる鉄球付きの錫杖など“J-RPG”に出てきそうでワクワクしたりした。こういうアイディアはハリウッドではでないんじゃないかな。

そしてどういう流れで終わるのかと思っていたら、完全に尻切れトンボで終了して愕然としたのだが、この映画はもともと2部完結で作ったらしく、そう思って見るとまあ許せる。『2』があるのは知ってたけれど(というか録画してある)、『1』で完結した話の続きだと思っていたのだ。

で、『1』だけを観た感想は、悪くないけど、絶賛というほどでもない。もっとも続きは観たくなるけどね!
この映画が「前半」であることを考えると、後半まで観てから、感想を書くことにしよう。

→To be continued!