時間割れない

久しぶりに(か、どうかちょっと思い出せないのもなんだが)、予定の時間に起きられなかった。

昨晩、飲みすぎたのかもしれないし、身体がここ最近の睡眠不足を取り戻したかったのかもしれない。
っていうか、どっちもだ。

昨日の休みは時間割通りにはいかなかったが(いかないのかよー)、7割ぐらいはこなせたので“まあまあ”としておく。

とにかくジムに行ったので、偉かった。
体重は大変なことになっていた。
思い当たることばっかりなので、当たり前ではあるのだが、現実って残酷ですね。落ち込んではいられないので、直後にケンタッキー食べたけどね。

「SACRA MUSIC FES.2019」のBlu-rayを買った。所属アーティストのお祭りライブの映像で、2枚組50曲以上入る中、僕が聴きたかったのはTrySailの5曲(+コラボ2曲)だけなので買うの逡巡したんだけど、「推しに金を使わないでどこで使うんだよ!」という心の声が聞こえたので(なにかの病)、Amazonでポチッた。

フェスならではとして、TrySailとClariSがお互いの楽曲『コネクト』と『かかわり』をコラボして歌っているのも入っていた。コラボっていうほどじゃなかったけど(2グループにパート分けただけな感じ)、これはこれで貴重なのだろう。ClariSの髪を巻いているほうの人(ファンに怒られそうな呼び方)の歌が上手くて、聴きながら、思わず「上手いなー」と呟いてしまった。『かかわり』をちゃんと自分の曲にして歌っていた(こういうのお手本になるよねー)。

ともかく、他のユニットのファンもいる前で、TrySailがどんなパフォーマンスをしているのかが見られるだけで値段分の価値はあった。あと『WANTED GIRL』で、ナンスが叫んでる言葉が「Say!」っていうのがわかったのも良かった。悩んでるぐらいなら(出せるお金は)出すべきなんだろう。

身の回りに関しては、いろんなものが込み入ってきて、整理しなければいけないことが多いなー、と思う今日この頃。
ひとつひとつ片付けなきゃね(贅肉もだよ)。

いつものアレ

ひとり暮らしをするようになってから、朝、シャワーを浴びるようになった。

とある本に、「シャワー浴びてる時が、一番思考が働く」というようなことが書いてあって(うろ覚え)、確かに、シャワーを浴びながらだと、面白い考えが浮かぶことが多い。
ただ、そこから数分立つと、何考えてたか忘れちゃうことばっかりだけどね(ダメじゃん)。

で、今日、考えたのは、
「どの曲聴いても同じだよね」
という言葉について。

ミュージシャンが売れてくると、よく言われる言葉だし、僕自身もそう思うアーティストはけっこういて、それは“揶揄”の意味だと思っていた。だけど今日は、ふと、(シャワーを浴びながら)これって“褒め言葉”じゃん!と思ったのだ。
だって、ファンが期待しているのはそれなんだから。

好きなアーティストが「新しい挑戦」をした場合、ファンはそれを歓迎し、見守るけれど、やっぱり最後は「いつものアレ」をやってほしいと思うものだ。「新しい挑戦」は結局、“変化球”で、それは「いつものアレ」という王道があるからこそ、「こういうのもいいよね」として認められるものなんだと思う。
ライブでヒット曲の「バラードバージョン」みたいなの、許容できるけど、オリジナルのほうが聴きたかったよ!と思うのがファン心理なのだ。
これは音楽だけじゃなくて、小説でも、映画でも、すべての創作において言えることだと思う。

こういうことを思ったのは、つまり、僕もいろいろなアーティストの“いちファン”だからだ。
その人たちが“変わったこと”をしているのを見ると「それもいいけど、いつものがやっぱいいな」と、素直に思うからだ(ファンってめんどくさいですね)。
というより「その“変化球”を王道のほうに取り入れてね」って思う。
ファン以外の人には「どの曲聴いても同じ」だけれど、ファンは揺れ動いている過程もしっていて、その果ての「どの曲聴いても同じ」だから、ずっと好きだし、ファンでいられるのだと思う(やっぱりファンってめんどくさいですね)。

反面、僕も、創作する人間の端くれとして、まずは「どの曲聴いても同じだよね」と言われるぐらいにならなきゃなー、とも思う。
それには、まず「数」を作らなきゃいけない(まだそこ)。そして数を作っているうちに「軸」ができる。その軸をもとに「王道」を作ろう。

今から、どこまでいけますかね。でもやるしかないですよね。

(で、このことを何がきっかけで考えたかというと、それはTrySailからなんだけれど、それはこのブログだけの秘密です。)

演奏会『クララ・シューマンと仲間たち』

練馬区演奏家協会コンサート『クララ・シューマンと仲間たち』に行ってきた(@練馬文化センター 小ホール)。

ヴァイオリンの西谷国登さん、チェロの毛利巨塵さん、ピアノの坂田麻里さんの3人によるユニット「石神井の森トリオ」の演奏会だ。

そのタイトルにあるように、シューマンの妻であり、ピアニスト、作曲家としても知られるクララを中心に、交友のあった音楽家や女流音楽家の曲がラインナップされるというコンセプトの演奏会だった。
その趣向を凝らしたコンセプトの影響か、途中の曲紹介をそれぞれがブラームス(西谷さん)、ロベルト・シューマン(毛利さん)、クララ・シューマン(坂田さん)に扮して、寸劇風に行うという試みも。
普段、クラシックを聴き慣れないお客様もいただろう中で、堅苦しさを取り除くようで、面白い試みだったと思う。

1曲目はブラームスの「ハンガリー舞曲 第6番」。
軽快でノリが良い曲が最初にくることで、こちらの気持ちもグッと前向きになる。

次のシューベルトの「セレナーデ」は、冒頭の有名な部分しか知らなかったけれど(我ながら不勉強)、人生の喜怒哀楽を感じられる素敵な曲だった。

3曲目の「F.A.Eソナタ」は、すでに西谷さんの“持ち曲”と言えるほどサマになっているが、今まで聴いた彼の演奏の中で、一番、そのモチーフである「自由だが孤独に(Frai aber einsam)」を表現している演奏のように感じた。

4曲目の「無言歌 ニ長調 op.109」。
フェリックス・メンデルスゾーンによる曲だが、毛利さんならぬ“ロベルト”が言うには、「無言歌」という名称は、姉であるファニー・メンデルスゾーンが考案したものらしい。
坂田さんのピアノと息のあったチェロの音色は、老練な滋味深い味わいでとても魅力があった。

前半最後は、今日の主役であるクララ・シューマン作曲の「ピアノ・トリオ ト短調 op.17」。
メランコリックな出だしで始まり、短編映画を観ているかのような展開の第1楽章のドラマティックさに、思わず楽章終わりで拍手をしてしまう。
4楽章の曲だったが、楽章をつらぬくヒロイックな印象が心に残った。

休憩をはさんで、第2部は、坂田さん演奏によるピアノ曲が3曲続く。
まずは、バダジェフスカの「乙女の祈り」。
耳馴染みのある曲だが、生演奏で聴くと、より楽しいのがわかる。同じようなメロディーが少しずつ変化をつけて続いていくので、それを追いかけるのも面白い。

そして短い曲であるシマノフスカの「ノクターン 変ロ長調」をはさんで、ショパンの「ノクターン 嬰ハ短調 遺作」が演奏された。
美しい旋律に、ときおり陰がさすようなメロディラインと、その技巧に、これぞ「ピアノ曲」といった印象を受ける。生で聴けて良かったと思える曲。

そして最後は、ファニー・メンデルスゾーン作曲の「ピアノ・トリオ ニ短調 op.11」が演奏される。
ドラマティックな第1楽章、女性としての優しさや慎ましさ(あるいはそれは生きるための方便だったかもしれないが)を感じる第2楽章、第3楽章でロマンティックになり、最後にガツンとくるような第4楽章といった、聴き応えのある構成の曲。
ぜひ、もう一度聴きたくなるような演奏だった。

アンコールは、シューマンの「トロイメライ」で(最後までロベルトを演じていた毛利さんが素敵だった)、懐かしいような落ち着いた雰囲気を作って、この演奏会が終わった。

さて、この演奏会、内容の濃さはもちろんのこと、その聴衆の多さがとても印象に残った。
約600席がほとんど埋まるほどの客数に「クラシックの生演奏を聴きたいという人がこんなにたくさんいるんだな」と改めて思った。
仕事柄、僕は一般の人よりは生演奏を聴く機会に恵まれているが、それがいかに貴重な経験であるかを痛感した出来事。

そして、今回、この演奏会に来た人たちが、生演奏の楽しさに触れ、また足を運ぶことになったら、それはとても嬉しいことであるし、きっとそうさせてくれるだろう演奏をしてくださったお三方を、いち音楽業に携わる者として(そしていち音楽ファンとして)心から尊敬している。

また、こういったコンセプチュアルな演奏会に行ってみたいなと思う。

ポッドキャスト裏話

ポッドキャストの4回目を公開。

3回目までも楽しんでやっていたけれど、ふと、これだけでは“意味”がないな、とふと思ったのだ。
ただしゃべるだけなら僕よりも上手い人がいるし、僕は別にラジオパーソナリティになりたいわけではない(いや、チャンスがあればやりたいですよ!でも“真の”目標ではない)。
結局、自分はミュージシャンでいたいんだよね。

その時、ふと思い浮かんだのが、身近なものを歌にする過程を公開したら面白いんじゃないか、ということ。それも面白可笑しい曲を。
もともと自分が得意だったし好きなのは、コミック過ぎないパロディソングを作って、それをスカして真面目に歌うことなのだ(だからレイマーズやってたときが最高に楽しかった)。
果たしてそういうものを、自分以外が「面白い」と思うのかはわからないが、とにかく自分が面白いというものを、ちゃんと音楽でやっていこうと思ったのだ。

で、それを実現したコーナーが「16小節の恥ずレター」。
ここで裏話をしてしまうと、実際は録音しながら作っているわけではなく、一度、こういう過程で作ったものを「トレース」している(とはいえ、「このネタで歌作って!」と言われれば、多分同じぐらいの時間で作れる自信はあるので、一応“半リアルタイム”という表現で公開している)。

「バッチ」は Badge だから本当は「バッジ」と書くべきだけど、あえて「バッチ」にしているのは「カンバーバッチ」と合わせるだけでなく、そのほうが昭和感というか、ハンドメイド感が強いから。
あと「カンバック」も本当は「カムバック」だけど、あえて「カンバック」なのもそういう理由(我ながら、なんだそのこだわり)。

改善の余地のあるコーナーではあるが、まずは3回はやってみるつもり。

あと「あっぱれ張本勲カルタ」はまた勝ち抜いてたね(あっぱれ!)。

それから「シュークリーム」については、いろんな人の解釈を知りたい(そういう意味では、面白い曲だよな)。

そしてエンディングに使った「音楽」という曲だけれど、これはカラオケルームで録音したもので、カラオケルームは録音に向かないことがよくわかった(壁が音を反響するようにできててピッチを掴みにくいのだ)。
そういう備忘録的な意味でも使用した。
次回は録音しなおしたものを掛けたい。

そんなわけで、自分が配信番組でやりたいことを盛り込んだ内容になりました。
スベってるかもしれないけど、ところどころ面白がっていただけれると嬉しいです。

とにかく、やりきったよ!

Delayed Holidays Days3

個人的3連休の最終日。

今日は愛車の半年点検だった。
実家へ帰った理由の2つ目がコレ(ディーラーが実家近くなのだ)。

10年以上前にいろいろあって、ほぼ勢いで買ってしまったRX-8なわけだが、なんだかんだ愛着はある。
僕は当時マツダ ロードスター(初代)の顔が大好きで「いつかはロードスターに乗りたいなー」と、子供のような漠然とした願望があった。
だが、以前乗っていたデミオを手放すことになり、同じマツダ車を買おうとなった段に、ロードスターの顔が変わってしまったのだ。
それでもって、当時は出たばかり(2世代目だった気はするが)のRX-8を買うことになった。
ただ、ロードスターを買ってしまっていたら、荷物も運べないし、燃費もさらに悪いし、多分、すごく苦労したと思う(もっとも「ザ・趣味の車」なんだから、ロードスターにそれを求めてはいけないのだろう)。

その点、RX-8はRX-7から唯一ロータリーエンジンを継承した“走れる車”なのに4シーターで、荷物もそこそこ運べる。
実際、これでコストコで買い物したり、引っ越しの荷物を多少運んだりするのには役に立っているので、実用性の高いスポーツカーとして“当たり”だった。
そんなわけで、買ってからの5年ローンは大変だったし(自分でもよく払えたと感心する)、電車通勤になってからはほとんど乗ってあげられていないが、今でも“愛車”と言える代物。
来年の車検も当然通すので、ちゃんと乗ってあげたい(点検のたびにそう思うんだけど不実行なんだよなー)。

それから今日は「メガドライブミニ」の発売日で、僕は実家近くのゲオで予約していたので、それを引き取るのも実家へ帰った理由の3つ目。
今、現在まだプレイはできていない(今日は温存するつもり)。

ACアダプターがついていないので、ファミコンミニのアダプターが使えるかどうかを調べるために1回開けてみただけ(ちゃんと差し込まれたので多分大丈夫←この辺で大丈夫と決めてしまうところがアナログ世代)。
42本のゲームが入っているので、何からやろうか迷う。昔よくプレイしたゲームが良いのか、当時買いたくても(予算的に)買えなかったゲームが良いのか、まあひととおりプレイしてみればいいんだろうけれどね。
ただ、手に入れたことで満足感みたいなものが満たされてしまう(頭痛が痛いみたいな言い回しだな)のも、こういう復刻ゲーム機あるあるなんだろうか。
とりあえずコントロールパッドをもうひとつ買おうと思う(一緒にやる予定の友達いないけどな)。

そして、昨日買ったスーツケースやら洋服やらメガドラミニやらを車両点検のついでに実家から自宅へ運ぶために、ちょっとしたドライブ。
僕の車にはCDデッキしかないので、逆に、普段聴けていないCDを再生する良い機会と捉え、CDを買ったのにオマケのMVしか見ていなかった「VIPER」と「スマッシュ・ドロップ」と「ユメシンデレラ」をカップリングを含め聴いてみた。

で。

「メリーゴーランド」を聴いて、天ちゃんは難しい曲を歌わされるなぁと思った。
にも関わらず「難しい曲=良い曲」とは限らない。
多分、こういう曲も歌えるところを見せることが彼女に求められていることのように思うし、チャレンジして歌うというところに「雨宮天」の矜持を感じたりもする(とか訳知り顔で語ってみたけど、そんな深いもんじゃないかもしれないな)。
それに比べると「VIPER」はなんだかんだ「A面」の曲になっているんだよな。

麻倉ももの「スマッシュ・ドロップ」はMVしか見ておらず、そのMVの印象しか残っていなかったのだけど、ちゃんと聴いてみたら結構良かった。
「パズドラ」のアニメの主題歌なので、それを文字った歌詞を入れつつ、単純なラブソングとしても聴けるという、僕の好きなつくりになっていた。

いや、そんなことより!

このカップリングの「シュークリーム」はちょっと歌詞に問題があるんじゃないか?運転しながらずっとツッコんでしまったぐらい。
ここで詳しく書こうと思ったけれど、喋ったほうが面白そうなのでポッドキャストで語ろうと思います(著作権大丈夫かな)。
ただひとつここに書いておきたいことは「もちょには良い恋愛をしてほしい」ということだ(親目線)。

そんなことをしていたら、貴重な休み最終日が夕方まで過ぎてしまったのだが、休みをとことん有意義に使いたかったので、ジムに寄りながら帰宅。
そんでもって、このブログを書いて今に至る。

予想通り、3連休はあっというまに終わる。
ただ、ちゃんと息抜きにはなったなーと思う。明日から頑張れる活力は手に入れた。
ここ最近、いろんなことに覚悟ができていなかったので、もろもろ、きちんとやるつもり。

あ、でも、世間は明後日からまた3連休らしいね。
やや羨ましいが、僕は僕で頑張っていきますよ、ええ!(やや逆ギレ)

一歩前へ

あれもこれもしようと意気込んでも、なかなか上手くいかない。

ようやく自分のやりたいことの“手前”まで来てるんだけれど、そこからの一歩を踏み出すのがなんと大変なことか。
それでも一歩踏み出してしまえば、なんとかなるのだろうけれど。
やはりイチローが言うように「0を1にするのが一番大変」なのだ。

そんなわけで、0.5歩ぐらいは踏み出せたかな(一歩じゃないのかよ)という感じではある。踏み出してみてわかったこともたくさんある。

環境を変えなければいけない。
プリンターが欲しい。
日々、練習すべし。

などなどだ。
リミットを今月と決めているので、間に合うように帳尻を合わせよう。

さて、先週からちょうど一週間TrySail断ちをしていたのだけれど、今日解禁。
解禁したら絶対に最初に、と決めていた1st LiveのBDを観た。
乾ききったスポンジが大量の水を含むように、今まで見過ごして、聴き過ごしていた情報がみるみる自分の中に入ってくるのがわかった。
なんで“断ち”していたかの理由はそのうち書こうと思うが、何事も一旦距離を置くことで、わかるものがあるのかもしれない。
そしてやっぱりこの三人は凄いや、と改めて思う。
彼女たちが最初の一歩を踏み出したときは、どんな心境だっただろうか。
やはりイチローが言うように「0を(以下略

そんなことを思いつつ、今日踏み出した0.5歩を早く一歩にしていこう。
結局、それは“覚悟”みたいなもんだと思っている。

成長譚

録り溜めしておいた『荒ぶる季節の乙女どもよ。』を連続して見た。

女子高生の恋愛と性欲求がテーマ(なのか?)のアニメで、最初に見た第4話がわりと“生々しい”というか、「大人の階段を登る世代」のあれやこれや要素を強く感じて、次の5話を見て以降、なかなか続きを見る決心がつかなかったのだ。
でも興味はあるし、女子生徒に対して男子生徒の無邪気さみたいなもので、重くなりがちな話が救われてたりもしたので、6話から8話まで一気に見た。

泉が告白するシーンで泣いた。

なんというか、人生のうちで「思いをぶつける」という行為ができるのは、つまり「告白」しかないんじゃないかと思う。
いや、他にもあるだろうけれど、ほとんど全ての人が共通で「思いをぶつける」ことができる行為は「告白」(それも愛や恋の)に集約されるだろう。
アニメといえど、物語といえど、その瞬間のエネルギーの大きさに見事に当てられた形。
そういう“クライマックス”から始まって、この恋はどこに向かうのだろうか。俄然、続きが気になる。

いや、ひとの(っていうかアニメキャラの)恋とか言っている場合じゃないけれど。

あとED曲の『ユメシンデレラ』はちゃんと聴いたら、とても良い曲でした。

それからTrySailの「MUSIC VIDEO COLLECTION」が届いたので、早速見た。

『adrenaline!!!』から、突然画質があがり、3人のメイクや衣装が凝ったりと、ここが事務所も本気を出したTrySailの“着火点”なのだな(コストかけはじめたな)、というのがあからさまにわかって、そういう点で面白かった。
デビュー曲の『Youthful Dreamer』なんか、曲のリバーブすらほとんどかかってなくて、PVの内容も「使えるもの使いました」といった低コスト感が強い。
そこから、テレビCMに出たり、雑誌の表紙を飾ったり、ソロ活動も増えてきた現状を考えると、リアルでサクセスストーリーだよな(そしてやっぱりみんな垢抜けたよね)。
もちろん一番はそれぞれの(裏方さんも含め)努力と実力の賜物なんだろうが、古参のファンほど、このPV集を見て「TrySailはワシが育てた」感が強いんじゃないかと思う。

そう、本当にその通りだと思うし、たくさん主張していい。
多分、僕はおそらくTrySailの初期のPVとか紹介されても心が動かなかったはずだから(今見れば、そこに“完成されていない魅力”を感じることはできるけれど、それは“今”を知っているからだ)、そういう意味で古参のファンの方々はすごいし、今、僕がTrySailに嵌っているのはそういう方々のおかげなので、お礼を言いたい(強く!)。

デビュー曲から4年でここまで来た、という事例がある、という勇気みたいなものと、右も左もわからなかった新人アイドルが、立派なエンターテイナーになったという軌跡を知ることができる、という二つの意味で、重みのあるPV集だった(ただ、これ正しい見方なんだろうか)。

そんなわけで、今日はめずらしくテレビ(モニター)が久々に活躍した日。
このインプットをアウトプットにつなげよう。

これからのチャゲアスの話をしよう

CHAGE and ASKAからASKAが脱退。

という、字面だけではよくわからない事態が起きている。

まあ、ASKAとしては「もうCHAGEとやったってしょうがねえよなー」という思いの中、相方が絶対解散してくれないとなったときに、“この手があったか!”的な策を見つけたんだろう。
実質2009年には活動休止してたらしいから、ASKAのスキャンダルうんぬんを抜きにしても、まあ実質解散状態だったようなものだろう(逆にASKAが逮捕されて、話題になった部分もあるはずだ)。

個人的に、CHAGE and ASKAといえば、「SAY YES」でヒットする前に「万里の河」が入っていたアルバム(ググったら「熱風」というアルバムだった)を中学のときに聴いていて、カッコいいなと思っていたし、「SAY YES」や「YAH YAH YAH」は兄とカラオケでハモって遊んでいたので思い出深い。

結局は、ASKAが売れすぎちゃったんだよなー。
ヒット曲はASKAが作ったものばかりだし、ソロ曲でも売れた。
J-POPというジャンルにおいて稀代のメロディメーカーかつ、歌唱力も抜群。となればひとりでやっていきたくなるよなー、というのが素直な感想。

でも、やっぱり二人のデュオだったから良かったんじゃない?とも思う。
確かにCHAGEだけでは、ピンでやってけんのかという疑問符はつくけど(いや、ミュージシャンとしては凄い方でしょうけど、いわゆる芸能界の第一線で独りでやってけるか、の話だ)、安定したハモリ力とASKAを立てる力があったからこそ、CHAGE and ASKAは売れに売れたのではなかろうか。

ASKAが脱退してもなお、今後、CHAGEがひとりで「CHAGE and ASKA」を名乗って活動することはないだろうけど(田島貴男がソロでORIGINAL LOVEやってんのとはわけが違うのだ)、CHAGEがこの名前を守り続けて、いつの日か、また二人で歌う姿が見られたら、それはそれで、今日のこのなんとも“モヤッとする”出来事も、笑い話になるのだろう。

そういう“大人のお茶目さ”を感じさせてくれる魅力がCHAGE and ASKAにはあると思っている。
だから、僕は、その日を待ちながら、お二人の今後の音楽活動が幸多からんことを願っている。

必要は学習の母

職場で使っているアンプとスピーカーの調子が悪くて、調整をする。

すぐには原因がわからなかったのだけれど、色々追っていくうちにスピーカーケーブルの不調だとわかって、そこをいじって解決。
とても古いアンプなので、買い替えが必要ではあるのだが、騙し騙し使えていたし、これまではまあそれでいいと思っていた。
だけれど、これを機に買い替えてみるか、とネットで調べてみる。

すると、スピーカーの抵抗(Ωって奴だな)の話とか、プラグの話とか、パッシブスピーカーとパワードスピーカーの違いとか、今まできちんと学ばなかったことを一気に学べて、それはそれで役にたった。
それから、ずっと寝かしていたハンディタイプのスピーカーセットが簡易的なエフェクターを積んでいることも判明して、これ何かに使えそうじゃん、ということもわかった。

今まで面倒臭がって(コストもかかるしね)遠巻きにしていたPA関係だけれど、調べてみると面白い。自分でこういうセット一式使う際にも、この知識は必要なので、仕事で趣味の調べ物ができるのは良いことだなーとも思う。

結局、まだ買い替えるかどうかはわからないが、知識として今日だけでかなり身につけたのは良かった。

仕事が趣味、というか好きなこととつながっているうちはありがたく、その恩恵を受けておこうと思う。
今のうちにPAに強くなっておこう。

追いかけて仙台 後編

そしていよいよ入場開始。

それまでの模様はこちらで
→「追いかけて仙台 前編

ホールの中に入って気づいたのは、ステージに対して半円を描くような席配置になっているので、僕ら3階席でもステージが近く、また見やすいということ。

僕らがTrySailのライブに行こう、となった時、行き先としてはここ仙台と名古屋を選ぶことができた。
名古屋はこのツアーのファイナルだったので(のちに幕張の追加公演が決まって、幕張が本当のファイナルになったけれど)、江戸川台ルーペは友人から「名古屋にすればよかったのに」と言われたらしい。
確かにそうだ。

トリキで参加会場を決めたときは、そこまで頭が回らなかったのだけれど、ツアーファイナルは演目や盛り上がりも違うのだから、確かに名古屋のほうが良かったのかもなー、という思いがここに来るまで、正直少しあった。
でも、いざこのホールに入って自分の席についた時、「ここを選んで良かった」と確信めいたものを感じた。会場の規模も雰囲気も、ステージと観客が一体になれる予感がしたのだ(もちろん名古屋に行ったら行ったで、それはそれで楽しかっただろうけどね)。
そんなわけで、否が応でも期待が高まり、開演まで40分ぐらいそわそわして待っていた。
左となりの席が女性で、僕が公演中に盛り上がりすぎて邪魔になったら申し訳ないなー、とか、少し距離を保ったほうがいいかなー、とか、そういうのも若干意識してしまった(大丈夫そうでした)。そばにはカップルのファンもいて、改めてTrySailファン層の幅広さについて考えたりしているうちに、ついにライブが始まった。

そして始まってしまえば、時間は一気に過ぎる。

内容は、すでに書いた通り「控えめに言って最高」だった。
ミスやハプニングもあったが、そういう不確定要素も含めてライブの楽しさを満喫できた。

僕の席からは1階席のファンの姿も見られたので、1階席の人たちの動きというか、ブレード(=サイリウム=ペンライト)の振り方とか、ノリ方をチェックしたりした。あとPAブースの位置とか、関係者の動きとかもそれとなく目に入ってしまう。
なんというか、こういうときに「主催者目線」で見てしまうのは、なんだかんだ職業病だと思う。このライブに比べて、自分が関わるイベントは(良くて)10分の1の規模のものではあるが、参考にできることはあるし、なにより、どういう部分をお客さんが一番楽しんでいるんだろう、と気にしつつ鑑賞してしまった(それが僕の良いところでもあり、残念なところ)。

僕らの斜め前に、ライブの大先輩らしきファンの方がいて、その人はブレードを持っておらずに自分の身体全身でノッていて、レベルの違いを感じた。
ファンもレベルがあがると、道具に頼らなくなるんだなと痛感する。
(揶揄する意味でなく)なんというか発光するものを持っていなくても、“存在感”というか、出しているオーラ自体が発光しているような、そういう雰囲気をもっていた。それでいて周りの邪魔にはならずに(節度をもって)楽しんでいるのがわかる。
僕は多分、その域にはなれないと思うが(だってブレード振るの超楽しいんだもん)、ここまで「好きなものがある」というのは素敵なことだし、その想いに一点の曇りもないあたりが本当に素敵だと思った。
対して自分の想いの中途半端さよ(TrySailのことだけではなくて全てにおいてね)。
こういう楽しい場で楽しい時間に身を置きながら、一歩引いてそういうことを考えてしまう自分がいた。
真面目すぎんのかもな。

そんなこんなで約2時間のライブはあっという間に過ぎた。大量のエネルギーに“のぼせて”しまうのではないかと心配していたが、逆にエネルギーをもらえた感じ。
たぶん、うまくエネルギーの波に乗れたということなんだろう。「好き」という思いが同じなら、波長があうのかもしれない。
集中力もトイレもぜんぜん平気で、あと1時間続いても余裕でついていけたと思う。そのぐらい楽しい、あっというまの“祭り”だった。

“最高オブ最高”だった祭りが終わり、江戸川台ルーペは、衛星放送かと思うぐらいに会話が遅延するほど、しばらく放心状態だったりしたが、お互いに「楽しかった」「最高」を連発し、その想いをさらに発散するために駅前の飲み屋で打ち上げ。

たぶん飲みの間、TrySailのことしか話してなかったと思う。

好きなものがあって、それについて語って想いを共有するのもまた楽しい、ということを改めて思う。
そういう意味では、江戸川台ルーペにとって、僕がその“共有できる相手”になるとは(しかも付き合いで話を合わせるのではなく、ちゃんと「話したことを理解できる」相手になるとは)、TrySailのライブに誘った42には考えられなかったことだろうし、僕の変化に一番驚いている人物ではなかろうか。
だって、彼に誘われたとき、僕は「TrySailって何?」「それ誰?」というレベルだったのだから。
それから3カ月(正確には2カ月と20日)で、イントロを聴いてほぼ全ての曲名を言えるほどCDを聴きまくったり、ライブブルーレイでコールするタイミングの予習をしたり、返品してまで「声優アニメディア」を買った経験は、20年来の友人と新たな共通の話題を手に入れられたという意味でも、その甲斐はあったというものだ。

友達だからといって、そう簡単に「共通の好きなもの」ができるわけではない。だから彼としては、僕が「付き合ってくれてる」感がまだあったのかもなー、と旅が終わった今、思ったりする。なんとなく、この旅行中、僕に気を使っていたような感じがしたのはそういう理由からかもしれない。
だけど、僕は自分自身ではかなりガチなTrySailファンになったと思うし、TrySailの存在を教えてくれた江戸川台ルーペには感謝しているのだ(と、この場を借りてお礼しておきます)。
まあ実際は「ミイラ取りがミイラになった」っていう状態ではあるけれど(使い方あってる?)、あの日のトリキで「サイリウム振りたいっす」と言われた時に、「じゃあ行こう!」と応えなければ、僕らがこうして仙台にいなかったことを考えると、未来は本当に予測がつかないし、なんというか「明るい未来」っていうのも、自分次第でいくらでもつかめるんじゃないかと思える(言い過ぎ?)。

で、23時頃飲み屋を出て、その後ホテル前のミニストップでビールとハイボールとチューハイとワイン、おつまみもろもろを買い込み、部屋で飲みの続きをしながら1stライブの映像に合わせてブレードを振った。
ライブのと、飲み会のと、二重の意味での二次会。
今日のライブでできなかった「ホントだよ」と「センパイ。」のコールもやった(馬鹿)。
結局僕らの“祭り”は朝の3時まで続いた。
こんなに起きてたの久しぶりだし、よく起きていられたな、とも思う。テンションって身体の限界を超えるのかもしれない。

 

翌日は昼の新幹線で帰るので、遅めに起床して、駅でお土産を物色。
僕が実家から要望されたお土産と、江戸川台ルーペが奥さんから要望されたお土産が同じだったのが地味に面白かった(ちなみに支倉焼です)。
お土産を買っても時間は余ったので喫茶店で時間をつぶし、短いけれど仙台滞在は終了。

支倉焼

帰りの車内は、喪失感と疲れからか、二人の会話はほとんどなかった。
黙って二人で同じタイミングで弁当を食べ始め、同じタイミングで食べ終わったのが印象的だった(ちなみに僕が食べた「牛肉どまん中」という山形のお弁当はとても美味しかった)。

これと言った会話はなかったけれど、とにかく「すごい楽しい時間だった」というものは共有していたと思う。
僕は、そういうことを話したら、なにか大切なものがこぼれ落ちてしまうとも思った。

それから僕は仕事に向かったのだが、疲れにも関わらずちゃんと働けたのは「楽しい疲れは後に残らない」という説の実証だろう(でも、ブレードを振った右手が無事だったのは、寝る前に湿布貼りまくっておいたおかげだと思う)。

そんな旅が終わって、また平常の日々が戻った。
実を言うと、飲んでいる時に「幕張の追加公演に行こう」という話もでた。
2dayの初日なら行ける日程だったからだ。飲みの勢いで、申し込みボタンを押す直前まで行った。
ただ、旅行から帰ってきて、結局それはとりやめになった。
初日の演目はファイナル公演ではないので、内容的に今回とあまり違いはないだろうということと、会場のキャパシティが仙台の約2000から7500に膨れ上がるので(ちなみに名古屋は3000)、今回以上のものは得られないだろうということがその理由だ(それでも行ったら絶対楽しいんだけど)。
ツアーファイナルに行けるのだったら、ステージが遠かろうがなんだろうが参加したのだけれど、その日は僕自身が主催のイベントがある(司会もする予定)。さすがに自分の仕事をうっちゃってまでは行けない。
規模は小さいけれど、僕も、僕のイベントを楽しみにしてくれる人たちのために全力を尽くさなければならない。それは末端とはいえ、同じくイベント業に身を置く僕の挟持だし、守るべきものなのだ。
そうやって、自分のできることを積み重ねていけばこそ、次にTrySailのライブに行ったときにも、全力で楽しめるんだと思う。

このライブに参加する前と後で、僕の考えにちょっとした変化があったことも確かだ。
とにかく楽しいことをたくさんやろうと思う。楽しそうなことに積極的に参加していこうと思う。

人生は短い。
ましてや僕は不惑を超えて、折り返し地点を過ぎてしまっているのだ。
後悔するより、悩むより、前に進もう。
そういう思いを強くした二日間だった。

またあの“最高オブ最高”のライブに参加する時に、今よりも(いろんなことに)自信をもって臨めるように頑張りましょうかね。

それはきっと遠くない気がする。