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鬼滅の刃が見つからない

昨日のツイキャスの後。

リモートだったしルーペさんは家に帰らなければなので、終わった後の打ち上げ的なもの(つまりリモート飲み)も20分程度で終わってしまった。
マックは食べ尽くしたが、ビールは350ml缶を持て余す。

で、『鬼滅の刃』を先日買った3巻まで読んだらすごい面白かったので、続きの巻を買いに本屋に行く。
午前中に覗いた時は11巻まであったのに、18時になったら5巻までしかなくなっていた。
人気があるって(もしくは転売ヤー)恐ろしい。仕方なく5巻までで我慢する。本当は6巻まで買いたかったが、ちょうどキリのいいところで終わってるのでまあ良いだろう。
でも1巻から2度読んだくらい面白い。
話の内容はわりとハードで、人が死ぬことに関して容赦ないし、人も鬼もバラバラになる描写も多々あるが、殺伐とした場面でも細かいギャグがちょいちょい入ってくるし、テンポが良いのでついつい読み進めてしまう。全巻持ってたら一気読みしそうだから、少しずつ進めていくのが良いかもしれない。
しかし、今日大きめの本屋行っても6巻は見つからなかった。年末までには最終巻まで読破したいができるだろうか。
それにしても流行っているというのは、やっぱり面白い理由があるのだろうから、鬼滅だけじゃなく、そういう“流行り物”嫌いを少しずつ解消していこうと思う。

明日、明後日と久々の連休(の予定)。
いろいろリフレッシュしたい。

リモートツイキャス

「ザンクとルーペの読書感想文」第3回を公開した。

深緑野分さんの小説『この本を盗む者は』について、感想を語り合いました。
この企画になってから初めてのリモートキャスで、やっぱり声の遅延による間のとり方が難しかったなーという感想。それでも喋りたいことは概ね喋れたはず。
これからこの小説を読もうと思っている方、ご参考としてお聴きいただければ。

アフタートークは麻倉もものライブについて語るという、本編とまったく関係のない内容だった(他にネタがなかった)。
ライブ後にもトリキで語り合ったけれど、1週間ほどたって冷静に振り返れた……ほどでもなかったけど、十分語った。
これもまた(恥を忍んで)公開しておきます。

ツイキャスしながら(というかほとんどは終わった後だけど)、早すぎる晩御飯としてマックを食べてしまったので、このあと何で小腹を満たそうか考えている。食べることと同じぐらい動くことが好きなら苦労しないのにな!(ないものねだり)

でも、よく喋った日。
これを良い機会として明日からも頑張るよー。

俺の勤労感謝

世間の三連休が自分の三連勤なのがほぼデフォルトになりつつある。

そしてとにかく眠気と戦った週末だった(寝不足よくない)。

休みの前日なので、お疲れさまの晩酌をしたかったのだが、明日のツイキャスで喋ることまとめたり、サムネイルを作ったりしないといけないので、ノンアルコールで作業する(なぜ前日にならないとやらないのか)。

「ザンクとルーペの読書感想文」第3回は深緑野分著『この本を盗む者は』について感想を語り合います。初のリモートなので、間とか尺とかが心配だけれど、なんとかきっちり30分で纏めたいと思ってますので、お暇な方集まれ―!(謎テンション)。
15時から開始しますが、アーカイブもYouTubeに残す予定です。

御年80歳を超える著名な歌手の方の歌声を聴いて、この人の全盛期ってどれだけ歌えたんだろうと思った。
もちろん、今だって聴き惚れるほど上手いし円熟のテクニックも感じるけれど、全盛期の声を生で聴いたら感動で震えてしまったかもしれない。
それだって、歌い続けてきたから感じられることであって、まだスタート地点にすら立っていない自分を改めて反省する(2日連続)。歌わにゃ。

そんなわけで今週はルーティンを変えて、色々と試してみようと企んでいる。
うまくいくかどうかもそうだけど、まずはできるかどうか。
失敗してもいいから思いついたら動きましょう。

1年後に同じ決意

昨日は全然寝付けなかった。

アルコールも飲んでないから悪酔いしてもいないし、逆にカフェイン取ったわけでもないのに、夜中に3回ぐらい目が覚めてしまう。おかげで寝不足の日を更新してしまっている。
昼休みに泥のように寝た(久々に変な夢見た)。

この1週間、プロからアマチュアまで色々な人たちの演奏を聴く機会が多かった。
プロの方の演奏が素晴らしいのはもちろんだけど、アマチュアでも上手い人の演奏する姿がカッコよかったり、初心者の人からも音に対する熱意を感じたり、みんなそれぞれの力量をフルに活かして音楽と向かい合っているなーと感じた。
それに比べて己の中途半端さよ。

三遊亭円楽師匠がラジオで「やってる奴とやってない奴はどこかで差がつく」と言っていて、それはシンプルだけど、道理だ。
本当、このところ音楽からだけじゃなくて創作からも遠ざかってしまっていて、無為な日々を送っていることを深く反省した。

でも、どこかのタイミングで同じような刺激受けたなーと思い返してみたら、奇しくも昨年の今日(11月第4週日曜)の「文学フリマ」の時だった。
あれから、それなりには動いたものの、結局同じ思いを1年後にしているというのことにゲンナリするが、来年の今日はそういう思いを持たないように、やりたいことやり抜こう。

そんな決意の今日は22時にやっと帰宅して、自宅でスーパーのそれなりのよい寿司(半額)をノンアルコールビールで食べた。
あまりにも空腹のため、手が震えて箸が上手く使えなさすぎて笑った。

明日も仕事。頑張りましょー。

高いポテ率

2日連続で寝不足。

昨日は友人にスコッチを勧められた。
ウイスキーと名のつくものはバーボン以外は基本悪酔いするので苦手だ。でも、こういう機会でもないと飲むことはないだろうからと、ロックで飲んでみたら結構美味しくて4杯ほど飲んだ。
飲んでる途中で「これ、絶対翌日頭痛する奴だ」と覚悟したものの、さほど頭痛はなく(いや、でもちょっとはあるんじゃん)むしろ胃が痛かったのでまいった(太田胃散飲んだよ)。

昨晩食べたくて、でも店が混んでたので食べられなかったつけ麺をどうしても食べたくて、お昼過ぎに行って食べた。
食べたいものを食べられるときに食べておくのが大事だと思うし、昔より食べたいものを食べられなかった時に意地でも食べに行く傾向が強くなってきている。
で、そこまでして食べに行った念願のつけ麺は「まあまあ」って感想。案外そんなもんだ(っていうか、俺、何回「食べた」って書いた?)。

自宅では基本、晩酌しないことにしたので、ワークアウトした後、モスバーガーで読書しながら夕食。
このところ、マック、マック、モス、マック、モスとポテトを食べる率高い。
隙あらばTwitterに写真をアップしているが、マックフライポテトのほうが「いいね」がつく。
みんなマック好きなのか、それともモスはオニポテだから邪道と見られてるのか。でもモス行くとどうしてもオニポテ頼んじゃうのは、他でオニオンリングを食べる機会があまりないからだろうな(ちなみにハンバーガーはモス野菜バーガー一択。推しが美味いって言うからよ)。

最近外食率が高い。
楽だし、栄養のバランスも自炊とあんまり変わらない気がするけれど(ちゃんと考えて食べろよ)、自炊のほうがなんか「健康的」に思えるので気をつけよう。

そんな週末。
あ、世間は三連休じゃん!(最後に気づいてみるパターン)

読書いろいろ。

表紙買いして積読だった『奇譚蒐集録 北の大地のイコンヌプ』を読んだ。

前作があるのを知りながら、表紙があまりにも好みだったのでジャケ買いしてしまったのだ。
続編ではあるものの、この1冊で独立した話だったのと、キャラクターの相関関係は内容から把握できたから、その点は問題なかった。
独特のルビが多い点(アイヌの言葉が出てくるので仕方ないかもだけど)に、序盤は読むのに苦戦したが、主人公 廣章の「民族(民俗)」に対する考え方や、立ち居振る舞いがとてもカッコよいし、語り手の一人である書生 真汐に感情移入できて、夜中の1時半までかけて一気に読了。
民俗学をベースにしているから、作者の知識はもちろんのこと、そういう伝承の残る舞台を設定するのが大変だろうけれど、続きがぜひ読みたい。前作も読む。

それにしても読むのにトータル4時間ぐらいかかった。僕にとって小説は特になかなか読み進められない。

すごい人気なのと、ダースレイダーさんや宮台真司さんが面白い読み解きをしていたので、『鬼滅の刃』をとりあえず3巻ぐらいまで読もうと、先週色々な本屋覗いたのに全然売ってない。
マジで転売ヤー許すまじ、と半ばキレ気味だったのだけど、昨日立ち寄った地元の本屋で売っていたのを見かけたので(転売ヤーもしくは万引き対策なのか、声かけて出してもらうタイプの売り方だった)買ってみた。11巻まで揃ってたけど、やっぱりとりあえず3巻。
同じように大人気になった『進撃の巨人』は絵柄がダメで読む気がしなかったが、これはどことなく愛嬌がある絵柄なので大丈夫。
あと、まだ1巻途中だけど、わりとギャグタッチなのね。3巻まで読んで好みだったら最後まで読む。

フィクションを読むと、改めて自分の語彙の少なさや、見識の狭さを感じる。
そういう発見があるのが今は心地よい。色々と読み進めてみよう。

そんな僕と江戸川台ルーペさんが、読んだ小説について語るツイキャス「ザンクとルーペの読書感想文」は次回11月24日(火曜)です。多分15時から。
このご時世なんで(流行語)リモートで実施します。
お暇なら聴いてね!(謎のテンション)

ノーラン映画は2回観ろ

感染者(っていうか感染判明者)が多いので、地元で過ごす。

「5つの小」とかって、もう舐められるとしか思えないけれど、こんな世の中でも諦めずに、そしてヤケにならずに生きていこう。

週に5日はスーツだから私服をほとんど買わず、何年も前に買った服をくたびれるまで着るタイプだが、必要最小限の数以外を思い切って捨てる。残っているとついつい同じ物を着てしまうからだ。
それでもって余所行きの服(って今言うの?)を2着ぐらい買おうと思う。そういうのをもったいながってめったに着られないのだけれど、「それしかない」状況なら着るだろう。
あとはいつ買いにいくかだが、これはある程度痩せてから、としか言いようがない。
果たしてそれはいつになることやら(自滅)。

じゃあ、痩せる努力ぐらいはしないとね。というわけで、ジムでワークアウト。
今月はようやく5回目(だよな)。家でもストレッチと腹筋ぐらいすればいいのだが、それをする気にならないのは、そもそもトレーニングが好きではないんだろうなー。
これを「好き」に変える方法があれば楽なのにね。

19年ぶりに『メメント』を観る。
今でも「超難解」と言われ、19年前に見た時もよくわからなかった覚えがあるが、今観たら比較的単純ではあった。途中であの人がアレするところ(ネタバレ回避)以降の展開を完全に忘れていた。俺が記憶喪失かよ、っていうね。
で、当時、僕は解釈を間違えていたというよりも、この結論を受け入れるのが嫌だったんだなーと気づいた。あんまり好きな話じゃないんだよな、つまり。
でも、これまた今回(2回目)のほうが面白かった。
「ノーラン映画は2回観ろ」と自分にタトゥー入れるべきか(入れない)。

あとは読書した。
面白いな―と思う本でも全然読み進めなくて、自分は遅読だなーと痛感する。でも読んでいけばいつかは読み終わるのだから、まあ良いか。

なにごとも自分なりのペースでいきましょう。

イメージ違いと名人芸

表紙買いして積ん読だった『増山超能力師事務所』読んだ。

第1話のオチが読めてしまった(しかも予想通りだった)のと、ドラマ化されてたことを知りキャストを見たら、あまりに自分のイメージと違っていてなんだか読む気がしなくなりしばらく放置していた。
で、久しぶりに続きを読んでみたら3話目から俄然面白くなって一気に読み終えた。

地の文が三人称でありつつ、時々登場人物の語りになっていたりして、こういう書き方でも良いんだーと思った(もちろん、これを違和感なく書くには実力が必要なんだろうけど)。続編もぜひ読みたい。
ドラマ版のキャストは頭から削除しておこう。いや、役者さんたちがダメってんじゃなくて、役者のイメージでキャラクターが固定されてしまうと、この小説を読む上では邪魔なような気がする(ようは自分のイメージとだいぶ違うってことだ)。

伊集院光からの三遊亭円楽からの太田光まで行き着いた話のつながりで、立川談志の落語「粗忽長屋」を動画で見た。
落語は(オペラとはまた違った意味で)敷居が高い感じがして、ほとんど見たことがない。だからその面白さもちゃんと理解できてないのだが、これは本当に面白かった。
以前テレビで見て、印象に残っているのは立川志の輔の「死神」で、これは10年以上前に見て以来ずっと頭に残ってるので面白かったんだろうなあ。

インターネットでやりたいことの一つに「朗読」があるのだけれど、そのベースとしてしっくりくるのは、精読でもなく、演技でもなく、落語のような気がしている。
もちろん付け焼き刃でそのエッセンスを取り入れられるとは思わない。ただ、方向性としてやりたいのは落語的な本読みだよな、と思う。
まずは名人芸と言われるものを見ていきたい。

そんなこんなしてたら、新型コロナの感染者数(感染判明者数というべきか)がすごい勢いで上がっている。
日々気をつけつつ、やりたいことはやれるうちに早くやっておこう。

結局同じ結論

気持ちに身体がついてかない感じで目が覚める。
まだ少し魂抜けてるのかもね。

そんな、なんだかフワフワした気持ちで、午前中はradikoや YouTube配信を聴きながら、溜まっていた家事に手をつけた。洗濯日和なのがありがたい。

1週間ぶりにジムでワークアウト。平日午後なのに結構な人がいた。
僕も負けじとまた通い始めなければ。

じたばたしている時間はなく、走り始めるなら今しかないと思っているが、どこから手をつけていいやら迷っている。頭をきちんと整理しなければいけない。
1か月ぐらい完全にフリーな期間があれば物事がガラリと変わるんじゃないか、とも考えるが、コロナ自粛の時だってたいして動けなかったのだから、それは理想論に過ぎず、実際は日々のスキマ時間使って進むしかないのだろう。
とりあえずは積ん読と、録画しておいた映画を片っ端から片付けていくことにする(いつもこの結論で実行できてないけどな)。

あとはとりあえず元気でいることだ。
マックで芋食べながらそんなこと考えている。

愛し愛されて生きるのさ

TrySailのメンバー、麻倉もものソロライブ「Agapanthus」DAY2に行ってきた。

5月にツアーとして予定されていたライブがコロナ影響で、今月、幕張2DAYSとして公演することになったのだ。
TrySailファンであり、なかでも“もちょ”推しの僕としてはこれは何がなんでも是が非でも参加したいライブだった。

TrySailのファンになって1年半。
ユニットとしての活動が一番好きなのは間違いないのだけれど、それでも「最推し」のもちょの存在は自分が思っているより大きいみたいだ。
なぜならTrySailファンの「センパイ。」であり“天ちゃん”推しの江戸川台ルーペが、TrySailライブの仙台と、1月の雨宮天ソロライブでの放心状態とは打って変わって涼しい顔をしているのに対し、僕の方が始まる前から上の空だったから。

ファン先行チケットに当選していたので良い席だろうとは期待していたが、席についてみると実質2列目。
座席は左右1個あけなので、見る角度によってはステージのもちょと自分の間に誰も入らないという予想以上の良席で、もうその時点で失神しかけた。
これまでの2回のライブでは、座る位置の関係もあって、ライブ中も一緒に参加するルーペさんの様子を確認したりしていたのだが、今回は正直、彼の存在を完全に放置して、ライブに没頭することにした。もう「僕は僕で浸りますので」と。

1曲目の「Agapanthus」で、プロジェクションマッピングのカーテン越しに歌うオープニングは、MVをライブでやっている感じで幻想的で良かった。
2列目とはいえ、客席中央までの長い花道が用意されていて、そちらをメインで歌う曲もあるので、常にかぶりつきで楽しめたわけではないが、「スマッシュドロップ」や「カラフル」のダンスが目の前で見られたのは幸せな時間だった。

「妄想メルヘンガール」の掛け声は事前にファンが各自録音して送ったものをミックスして流してくれたのだが、男声が多くて野太い感じのコールになっているのがちょっと面白かった。あと、もちょが言及した「良い重低音」はルーペさんの声なんじゃないかと思う(嫉妬)。

トークでは”妖刀アサクラ“と呼ばれるその毒舌も披露されたが、狙った毒舌というより、思ったことをそのまま口にしてしまうからこそなんだろう。
でも逆にそれは天然でドSってことか?(煽られる「雑草チーム」が羨ましかったりした)

個人的にセトリは一分の隙もない完璧なものだった。
アルバム「Agapanthus」収録曲を中心に歌うのは、ライブタイトルからしてわかっていたが、収録外の曲で絶対に聴きたかった「Good Job!」(グッジョブポーズしたよ!)、「Fanfare!!」(MO MOやったよ!)はもちろんのこと、良い曲だなーと常々思っていた「星空に想えば」が聴けたり、コロナ禍に聴いてより歌詞が沁みた「No Distance」を同じ意味を込めて歌ってもらえたことが、より特別感のあるライブだった(欲を言えば全曲聴きたいけど、それは贅沢すぎるというものだ)。
ただひとつ、ポッドキャストでクサした分析した「シュークリーム」を生で聴いて、どう思うか知りたかった感はある(ドM)。

テンションが上りすぎて、ライブ途中で現実感が時々吹っ飛んだ。
映画「インセプション」で夢の世界と現実世界を見分けるためにディカプリオがコマを回すシーンがあるが、きっと今コマを回したら永遠に回り続けるだろうなとも考えた。
そのくらい夢とうつつの境目がわからなくなる感覚に陥ったのだ(いや、全部「現実」なはずなんだけどね)。

「愛し愛されて生きるのさ」
とは、小沢健二の曲のタイトルで、僕はこの曲に思い入れはおろか、そらで聴いたことぐらいしかないけれど、ライブの最中にそんなフレーズが頭に浮かんだ。

アーティストはファンに愛され、そしてアーティストはファンを愛する。その関係が続く限り、どんなアーティストだって(そしてファンだって)生き続けることができる。

その意味で、このライブは麻倉ももとファンによる完璧な愛し愛される空間だった。
批評的に見れば粗がないわけではないステージではあったが、それを問うのはもはや意味がない。

夢と言われたらそれはそれで納得してしまうような、現実感が吹っ飛ぶライブに身を委ねながら、これまでの人生が何度か走馬燈として見えた。
だから昨日ツイートした「4回死んで生き返った」という表現は決して比喩ではない。

どんなに言葉を紡いでもこの感覚を表現するのは虚しいから、シンプルに「超絶楽しかった!」と書くことが正解な気もするが、こんなすごい体験をする機会が世の中にあるのだ、ということがわかったことを、ここに記しておきたい。備忘録として。

さて、僕は今日からどう生きようか。