連日のつけ麺

二日連続で自宅でつけ麺作って食べた。

昨日はお昼を食べすぎてお腹があまり空かなかったのでひと玉、かつ茹で卵トッピングのみで食べたが、今日は昼がたぬきそばだったのと、夕方からものすごく腹が減っていたから、焼き豚と煮卵を買ってトッピングした上、二玉食べてしまった(危険)。
まあさすがに連日、しかも二玉食べたら飽きた。あと二玉残っているんだよなー。明々後日ぐらいに食べよう。

昨日見た「伊集院光のばらえてぃー」DVDの「酩酊ドミノ」に続いて、その前に買っておいた「ノンアルコールドミノ 毒入り」の回を見た。
これはドミノシリーズの完結編とのことだが、「酩酊〜」とは違う視点で、でも同じく“人間観察バラエティ”として最高に面白かった。約10年前の企画だけど色あせてない。
これで初めて知った人だけど、両方に出演している田代さやかに惚れた(色々すごい)。あと、まだ若手時代のバイきんぐ小峠の「仕事できる男」感がすごいカッコよかった。このあと売れる片鱗を見た気がする(調べたら、この年のキングオブコントで優勝してた)。

そんなわけでDVD見ながら、うっかり(?)酒を飲んでしまった。これで3日連続。
ここ3週間、週1ペースだったのに、よくない傾向。明日から自重しよう。

昨日はちゃんと寝れた。今晩も熟睡したい。

眠れない夜の翌日

全然寝付けずに、4時頃までベッドで鬱々していた。

こんなに眠れなかったのは久しぶりだった。なにが原因か考えたんだけれど、思い浮かばない。もしかしたら某バーボン(安価な奴)が良くなかったのかなと思ったりしたが、前も何度か飲んでるのにそういうことは初めてなので、不思議。
今晩、ちゃんと寝られるだろうか。

本やゲームソフトを少し処分したのだが、そのブックオフで探していた「伊集院光のばらえてぃー」の「酩酊ドミノハイパー」の回を見つけたので、即買い。
噂に違わぬ面白さだった。今ではコンプラ的にNGなのかもしれないが、ただの酔っ払いが騒いでいるのを見るのではなく、色々な角度で撮れ高があるのが面白い。
でも酔っぱらってる姿を、客観的に見ると恥ずかしいですね。自分も気をつけよう。

ここのところ偉大な方々の訃報を聞いて、自分のちっぽけさ、というかフラフラしている部分に嫌気が指すけれど、そこに気づいているのだから、やることやらなきゃね。

また明日。

意外にショック

『ポーラー 狙われた暗殺者』という映画を観た。

イケオジ代表の一人、マッツ・ミケルセン主演の“タイトル通り”の映画。
引退した(この映画では引退間近だけど)凄腕ヒットマンが命を狙われて大立ち回り、というのは『ジョン・ウィック』や『イコライザー』に通じるものがあるが、そういう他の作品よりも生身の痛みがある描写が多く、これはこれで面白かった。序盤にジョン・ウィックのパロディじゃないかと思う描写もあって、明らかに狙ってるのもご愛嬌だった。
後半、眼帯のマッツさんが超カッコよかった。まあ、そういう映画。

ガッキー結婚。
ファンというわけではないのに、なぜかガッキーに関してはショックを受けてしまった。まあ相手か星野源なら仕方ないと思うし、トレンドになったみたいに「俺以外の奴と……」となんて気はさらさらないのだけどね。
でもなんだろう、寂しさはある。確実に。
ガッキーでこんな気持になるのでは、推しが結婚したら間違いなく数日会社休むだろうな。
きっと日本海を見に行くと思います。

緊急事態宣言がほぼ効力を失い、無法地帯と化しているので、実際の感染が増えているのか減っているのかもわからず(いや、感染者判明数減ってるじゃん、っていうのはナシね)、これまでで一番不安でコロナ鬱気味。

とりあえず今日も体調は普通(やや筋肉痛だが)なことにホッとして、一日終える。
また明日、しっかり頑張りましょう。

5月早めの「読書感想文」

「ザンクとルーペの読書感想文」第9回、無事終了。

伊藤調さんの『ミュゲ書房』について語っています。
ルーペさんは伊藤さんとカクヨムで交流があるらしく、そういう“身近な人”が出版デビューしているのはすごいなーと思うし、その作品をこうやって語ってWebに公開できるのはありがたいし、楽しい。
具体的に語ったことは本編をお聴きいただきたいが、「文学的パーティーピーポー」、「光属性の本」というルーペさんの名言が飛び出したし、とても面白い本なのでオススメしたい。

アフタートークでは、これまでの課題図書を振り返りました。

言い忘れたけれど、これまで選んだ小説は、どれも“ちゃんとしたレベル”の本だったのは良かったと思う。文章力が拙い、とか、単純すぎる、という作品がなかったから、好き勝手オススメ度を言えるというところもある。
説明文にこれまでのオススメ度を記載してあるので、それで気になったら、それぞれの本編お聴きいただくのも良し。

前回同様、思った以上に緊張して迎えたツイキャスだったが、終わってみれば楽しかった。
これから夕飯買いに行って、食べて寝るー。

忘れられた炭酸水

折からの不況により緊縮財政を迫られている今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

職場では炭酸水のペットボトルを飲むのだが、コンビニで買うより西友とかサミットで買った方が安いので、買いだめしたものを持って行っているのだけれど、このところ持っていくのを忘れて結局コンビニで買ってしまう。ほぼ同じものなのにもったいない。
別に10円でも20円でも節約したいわけではないが、せっかく用意していたものを忘れてしまう自分のダメさが嫌になる。ボケてますな。

昨日、ベン・アフレックの話をしたから、というわけではないけれど、ネトフリ映画の『トリプル・フロンティア』を観た。
なんというか最初から悲壮感、というか破滅に向かっていく感が強くて、観たかったものとは違った(そして、まさかの展開になったし)。出てくる役者たちはみんなカッコよかったので見れたという感じの映画だった。オススメはしない。

そして今日は飲みたい気持ちが強かったからビール飲んだ(500ml)。
明日は「ザンクとルーペの読書感想文」の日だけれど、けっこうな疲れ具合なので、最後のまとめは明日の午前中にまわして(一応、課題図書はシラフで読むようにしているのだ)、今夜はもう寝る。
明日はちょっと遅めの16時スタート。伊藤調さんの『ミュゲ書房』の感想を江戸川台ルーペと語り合います。リアタイ大歓迎&YouTubeアーカイブもあるよ。
アフタートークは、これまでの「感想文」の感想戦。言い足りなかったことや、あとで気づいたことなどを話したいと思います。

そんな感じで今日はおひらき。
喉の調子に気をつけて明日を迎えよう。

古いマーベルドラマの感想

1日しか働いていないのにすごい疲れた。

蓄積疲労だよなー。あと、最近は週1日にしているアルコールを2日連続で飲んだからかも。なので、今日からまたしばらくはノンアルコール。

ネトフリで「デアデビル」のシーズン1を観終わった。
先日、書いたように、後半からぐんと面白くなり、最後の3〜4話はどんどん先が観たくなる展開だった。敵役に、ちゃんと“そうなるべき”バックグラウンドがあり、その内面まできちんと演じるヴィンセント・ドノフリオの力がすごかった。
それに引っ張られるように主演のチャーリー・コックスも、キャラとともに成長した感じがする。
最後の最後の戦いで、ようやくみんなおなじみの(って言っても俺もベン・アフレックの奴しか知らないけど)コスチュームになる胸熱展開も良かった。

シーズン2も続けて観たい気持ちだが、時系列だと「ジェシカ・ジョーンズ」のシーズン1が先になるので、その第1話を観た。
これは、ちょっとホラー&アダルトテイストで、自分が苦手な奴感が高いが、1話の最後のシーンがカッコよかったので、もうちょっと頑張って観てみる。

あと、昨日から宇佐美りんの『かか』を読み始めた。ページ数は少ないが、なかなか読み進まず、ようやく半分ぐらい。感想は読み終わったら、また。

疲労回復のため、寝るー。

読書ホリデー

降田天の『彼女はもどらない』を読んだ。

どんでん返しがすごいと評判のミステリー。
SNSでの匿名のディスり合い(っていうのかな)が主題なのもあって、主人公の二人が攻撃的で自己中心的なタイプに思えて、最初のほうは読むの厳しい感じだったのだけれど、段々と引き込まれていって2章から最後までは一気に読んでしまった。
「どんでん返し」というか、真相はちゃんと描かれるまで全然気が付かなかった。なんらかの関わりはあるんだろうね、とは思ったけど、まさかね。でも、そのまさかをまさかと思わせない叙述力はすごいなーと思う。
降田天は「このミス大賞」になった『女王はかえらない』が話題ということなので、それも買ってきてしまった。
あんまりミステリー読まないんだけど、こういう系統は好きかも。

それから、映画『はりぼて』の原作本(って言っていいのかな)『富山市議はなぜ14人も辞めたのか』も読んだ。去年、観た映画館でパンフレット代わりに買って積ん読していたのだった。
映画よりも、不正を追求するチューリップテレビのメンバーの心情がわかったのと、これを踏まえて、また映画を観たくなった。
解説でジャーナリストの金平茂紀が、最終的には謝罪して辞職した市議らのことを、「最後の最後のところには良心が残っていたが、今、目の前にしている閣僚も含む国会議員たちはこのような良心を持ち合わせているだろうか」と書いていて、本当にその通りだなと思う。
この事件が起きたのが2016年。それから4〜5年経った今、政治は全国規模でこれ以上“はりぼて”になっている。

あとは、来週の「読書感想文」のサムネを作った。
今回からツイキャスやYouTubeに合わせた16:9のサイズにした。そういう細かいところに気を配っていきたい。アフタートークも、これまでの「読書感想文」振り返りに決定。はじめて、アフタートークらしいアフタートークなんじゃないかな。
5月18日(火)16時からです。お楽しみに!

そんな読書中心の休日。
本は読み始めると集中できるんだよね。最初のとっかかりをちゃんとやろう。

二つのゲームの終わり

「ゴーストオブツシマ」をクリアした。

終盤だとはわかっていたものの「もうちょっとあるかな」と思って挑んだクエストが最終決戦だったので、そのまま最後までプレイしてしまった。
思い返せば、しゃがむことができずに敵に何度も見つかったスタートから、三人連続で暗殺できるようになるまで、と、けっこう長いこと付き合ったゲームだった(ものすごいボリュームあったな)。
ゲームとしては、システムまわりが快適だったし、主人公のキャラクターとともに、プレイヤーである自分の腕も上がっていくシンクロ感が高くて面白かった。
ストーリーも、既存の仕組みでは驚異を排除できないというイノベーションの必要性と、とはいえ手段を選ばないやり方が正しいのかと自問するような内容で良かった。あとやたら庶民が死ぬので、諸行無常だなと思った。
結局「守るべきものは何か」で行動は変わるのだろう。
あとはトロコン(トロフィーコンプのことをこう言うのね)をするかどうかなんだけど、買ったものの封をあけていない『スパイダーマン』をやりたくなったので、先にそっちを始めようかな。これまた評判が良いので楽しみ。

あと「ピクロスS5」もクリアした(ノーマルピクロスとクリップピクロスのみだけど)。
140〜145番ぐらいの問題でなんどか躓いたけれど、無事、全て“理屈”で塗り終えた。
イラストロジックの中でも『ピクロス』シリーズは問題の作り方が優秀。後半は、たったひとつマスを塗るかバツをつけるかがヒントになるあたりの設問の仕方がドーパミンを凄く出す(感じがする)。
「S6」って出てるんだっけ。出てたら買いたい。

動画は、「デアデビル」が期待以上に面白くなってきた。
もともと評価が高かったそうだけれど、敵対する相手、師匠、相棒が物語をビシッと締めている感じで俄然先が気になる。主人公のガジェットがちょっとずつ増えてくるのもRPG感があって良い。あの「例のスーツ」になるのは終わり頃らしいけれど。一気に見てしまおう。

そんな楽しみがあるから、僕の日常はまだマシなんだろう。
明日はようやく休み。
片付けせねば。

書くこと、転売屋憎し、そして告知

仕事ー。

昨日のブログは本当にお気持ち表明みたいな感じになってしまった。
ただ、ここしばらく、もっといえば昨年から思っていたことが、ここのところ頭の中でモヤモヤする原因となってしまっていたので、一度、文章にして吐き出しておきたかったのだ。
目が覚めてすぐに「とりあえず書くか」と朝一番でPCに向かって大体書いたものを、一日かけてスマホでポチポチ加筆訂正していった。
なんだかんだで書くことが好きなんだなあと気づいた。このブログ(って言うほど中身のない日もあるが)も2年以上続けてるしな。あれ3年だったっけ?

一度、現状の思いは書いたので、またしばらく“いつもの感じ”に戻ります。
とにかくホント、みんな身体には気をつけようね。

三遊亭円楽と伊集院光の二人会のチケットが昨日10時に発売されたので、仕事をサボって(最低)、10時にアタックかけたけどダメだった。10秒でsold outしたらしいのだが、売り切れは当然とはいえ10秒って絶対転売屋というか転売グループがらみじゃねえか。マジ許すまじなんだけど。
チケットは転売不可といいつつ、ネットで5,000円のチケットをもう50,000円で売ってたりして、ホント、そういう輩は地獄に堕ちていただきたい(丁寧語)。
あと運営もこういうプラチナチケットになるってわかってる公演は抽選販売にするべきだよね。わざとやってんのかよ、って思う。
そう考えるとTrySailのチケットは抽選販売だから有難い。そんなところもファンで良かった(尊い)。

さて、「ザンクとルーペの読書感想文」の5月の課題図書が決まった。
伊藤調さんの『ミュゲ書房』について感想を語り合います。ルーペさんのセレクト。
カクヨムで掲載していた小説の書籍化。今回はあっというまに読んだので、本番まできちんと復習したい。そして日時も5月18日(火)16時からに決定。ただアフタートークの内容はまだ決まってない。乞うご期待!(ウソ。ノープラン)

楽しいと思うことがあるうちは良いことだ。
そんな感じで明日も頑張る。

新型コロナと社会について考える

緊急事態宣言は延長になったが、休業要請に従わない、あるいは「生活に必要」という意味を拡大解釈して営業する店が相次いでいる。

当然といえば当然の流れではあるが、これを「コロナとの戦い」として見ると、完全にコロナの仕掛けた罠に嵌っている。人間社会に内乱がおきて、本当に戦うべき相手に利することをしているからだ。

独自の判断で休業しようが営業しようが、感染が拡大(つまりコロナの勢力が拡大)している状況にはなんら変わりはない。人と人の接触が増えれば増えるほど、コロナにとっては喜ばしい状況になる。
「あそこがやってるんだからこっちもいいはずだ」は、本来は感染予防の理屈に合わない。人間同士が同じ考えの下に行動できない今は、コロナには願ってもないチャンスになっているのだ。コロナに人格があれば、今頃ほくそ笑んでいるだろう。
東京で言えば1000人、2000人といったこれまでのピーク時よりも、やや感染判明者数が減っているように感じるのも罠で、指数関数的に増加する(倍々ではなく二乗二乗で増える)ことを踏まえれば、“さざ波”なんて言っていると、あっという間に津波になる(あの発言自体は人を数字でしか捉えていない最低のものではあるが)。

病気(コロナ)で亡くなるのは一瞬だ。
だが生活苦で亡くなるまでにはタイムラグがある。

今日の食事を調達できなくなった、仕事を失い人生に絶望した、そういう人が飢え死にまたは自死に至る前に救うのが為政者、もっと大きくいえば社会の役割だ。後者は手の施しようがなくなる前に、為政者や社会が手を差し伸べれば救えるのだ。
でも新型コロナでの死は今のところ救うことができない(貧困を解消するよりもはるかに困難という意味で)。

だから「コロナで死ぬのを怖がっていたら経済が回らなくて死者が増える」というのはロジックとしては正しいかもしれないが、そういう思考がすでに間違いなのだ。
コロナによる死と経済による死を同列で語るべきではない。後者は政治がしっかりしていれば解消できる(それができてない、むしろやろうとしない今の政府を支持する人は何をもって支持しているのか、僕にはわからない。支持率40%?え、なんで?)。

日本社会は結局、理屈ではなく空気と同調圧力によって動いている。それぞれが豊かで寛容な時代はうまく回るが、厳しい状況になった時に影響力を持つ人たちがおかしな空気を振り撒くと一斉にダメになる(先の戦時のように)。
それをコロナ禍で痛感している。

さて、ここからは個人的な今後の予測だ。正しい対策というわけではないし、その知見を僕は持ち合わせていない。

おそらく、このまま「要請しても聞き入れず」という状況であれば、感染者数(陽性率)は減らず、緊急事態宣言が解除されることはないだろう。
人々が要請を聞き入れるとすれば、東京オリンピック中止と引き換えということでもしないと無理だろう(もちろん金銭的保証がなければ、それでも従わないところもあるとは思うが)。
そして昨年の1回目の緊急事態宣言のような強力な自粛を人々がすれば、感染拡大はかなり小さくすることができる。ここまではその通りになるのではないか(それとも大勢の犠牲の下にオリンピックやるのかね)。
あるいは、どうしようもないぐらいに感染者数が増えれば(それこそ毎日、全国で10000人以上とか)、さすがに命の危険を感じて、出歩く人は激減する(これはあんまり考えたくないシナリオだけれど)。つまり厳しい自衛の時期に入る可能性もある。

いずれにせよ、そうやって感染者を減少できたタイミングで「PCR検査数を大幅に増やし、陽性者を隔離し金銭面も含めて手厚い保護をし、陰性の人々だけで活動する」といういわゆる「ゼロコロナ」の状況を作れなければ、またふりだしにもどって……という繰り返しになるのだが、これまでの流れを見る限り今の政府がゼロコロナ対策をする気はないだろう。
だからこの緊急事態宣言を出しては解除し、というのが当面(それはワクチンではなく、コロナ特効薬ができるまで)続いてしまうと思う。

今年、衆議院議員選挙があるが、政府の対応に怒りを感じている人がきちんとに投票に行って、投票率がせめて60%いかないと、現状維持の対策が続いてしまう。そして残念ながらおそらくはそうなるだろう。ちなみに小泉郵政選挙の時が67%、麻生内閣で自民党が下野した選挙が69%。
僕は投票に行くが、日和見主義が多い日本では、ほとんどの人は投票にいかない。それが社会に参画する手段であるにも関わらずだ。

こう考えていくと、僕にはもう絶望(そして為政者への怒り)しかないのだけれど、幸いにも家族に感染者、ましてや感染による死者はいないので、まだなんとか堪えられている。実際に身の回りに亡くなった方がいる人は僕以上に絶望していることだと思う。
いつのまにか目の前のことにしか興味がない人ばかりになり、余裕のない(むしろ許さない)社会になり、勝ち馬に乗る人が増えてしまい、日本社会はすでに社会としての機能を失っている。そのことには以前から薄々気づいてはいたが、コロナ以降、この考えに確信をもつようになった。

社会としての機能を失ってしまった以上、個々人の意思を尊重しつつ、コロナに負けないようにそれぞれが対策するしかない。こういう形はもうすでに負け戦だが、諦めるわけにはいかないのだ(諦めたくもない)。
そして感染に最大限注意をして(絶対罹らないと言えないのが悔しいが)、今のところは家族と親しい人に気を配りながら生きていく。
今の僕はそう思って日々を過ごしている。

そして、ひとりひとり「今、社会になにができるか」をきちんと考えてほしいと思う。
僕もきちんと考えることにする。