ミステイク

日にちの感覚が追いつかない。

昨日のブログで「昨日は飲まずに寝たのに63%だった」とか書いたけれど、飲まなかったのは金曜日(昨日から見て一昨日。ややこしいな)だった。
ちなみにその日の快眠度は54%。もっと低いでやんの。

先週はなにかとイベントというか「出来事」が多かったせいか、この一週間をものすごく長く感じた。それで、一昨日と一昨昨日のことを混同してしまったのだろうし、なんか一週間を振り返ると、「あれはいつで、あれはいつだったっけ?」みたいに、記憶が曖昧になっている。

こうやって文字にすると、果たして俺は大丈夫なんだろうか、とも思うが、疲れ+寝不足+ちょっと風邪気味(なんで32℃の翌日が23℃かな!)+飲み過ぎ(それな!)が為せる業だろう。

明日は完全オフ!
それまで頑張る。

快眠と悪夢の間

快眠度があがらない。

以前のブログで書いたと思うが、ここ一月半ほど「Sleep Cycle」というアプリで快眠度を測っている。
枕元に置くだけで、自分がいつ「ノンレム睡眠」に入っているのか、覚醒してしまっているのか、を測ってくれるアプリだ。
本当だとしたらすごい仕組みだ(半信半疑)。
でも、明らかに夜中に目覚めてしまった日を調べると、ちゃんとその時間帯に「覚醒」という状態が表示されたので、以来、なるべく信用している(騙されやすいタイプだな)。

で、5月には91%だの84%だの、快眠度の高い日がちらほらあったのに、6月に入ってから最高値が75%で、ひどい時には45%と、快眠を拾えないでいるのだ。
飲み過ぎが原因かなーと、昨日は飲まずに寝たのに63%だった。
睡眠時間が短いとダメなのかと思いきや、6月3日なんか8時間33分寝ながら、快眠度45%の最低記録更新日。
そのせいか、ここ最近は、確かに疲れが取れてないように思う。

昨夜はみた夢もまた変な夢で、中学時代の同級生がでてきたり、盗撮されたり、変なカミングアウトを受けたり。
なんというか、モンスターが出る、とか、世界が終わる、とか、そういう怖さじゃなくて、“じんわりと”衝撃が走る系の悪夢だった。

夢は、起きている時の記憶を整理している過程で起きるもの、という説があるので、自分はいったい、起きている時に何を経験しているのか、そっちのほうが不安になったりする。

さて、そろそろ快眠度80%以上を出したいと思っているのだが、いったいどうしたらいいのだろうか。

ただ単に「眠る」ということまで難しくなってきた。
人生は困難だ(大袈裟)。

三食カレー

無性にカレーが食べたくなるときはないか?
俺にはある。

俺は基本、朝食を取らずに会社へ行くのだが、最近は出勤途中で、超絶お腹がすくので、コンビニでパンを買って、朝職場で食べる習慣がついてしまった。
食べるパンは基本「ウインナーパン」なのだけれど、今日は、どこのコンビニでも売っている“いわゆる”マヨネーズとウインナーのパンが売り切れていたので、代わりに「あら挽きウインナー&カレー」というものを買ってみた(ちなみにローソン)。

いつものウインナーパンがカレー風味になっているのかと思いきや、その名の通り、カレーパンにウインナーが入った代物で、ここで若干、俺のカレースイッチが入ったようだ。

社食で昼食を取る場合、あまり食べたいものがないなら「たぬきそば」を選ぶんだけれど、今日はポークカレーを頼んでみた(スイッチ入ってるからね)。
社食のカレーはほとんど食べたことなかったが、食べてみての感想は「これ、俺が学生時代にしょっちゅう食べていた学食のカレーと同じ味だ」ということ。
多分、缶に入ったルーで作られている奴で、けっして美味しくはないのだが、安心する味なのだ。学生のときは、ノーマルのカレーか、たまに贅沢してカツカレーという昼食ばかりだった。
どこかノスタルジックな気分になると同時に、当時、朝昼晩と13食連続でカレーを食べた思い出を思い出す(14食目はカレーパンだった)。

そして夜は、先日、実家に帰った際にもらってきた牛肉の煮たもの(佃煮っぽいやつ)とレトルトカレー(ミニサイズ)で、“エセ”カレギュウをつくって食べた。カレギュウっぽさは少なかったが、美味しくいただいた。

そんなわけでカレースイッチが入った今日は3食カレーで済ませたのだった。
とはいえ、カレーパン、社食、レトルト、とかなりのB級ルートではあったが、それでもそれなりに満足できちゃうのはカレーの万能さか、単に俺がカレー好きなのか。
しばらくいろんな種類のカレーが食べたいな、と思ったりもしているので、まだスイッチは切れていないようだ。

それにしても、なんか“超”美味いカレーが食べたくなった。
欧風でも、インドカレーでもいい。
どこかいい店を探そうと思う(スイッチが切れる前に)。

ナイトクリーナー

というわけで(昨日のブログ参照)、夜に片付けをした。
片付けだけではなく同時に、気になっていたところの掃除もした。

まずは翌日、出かける用事があるので靴磨きをした。2週間ぶり。
前は靴磨きなんてしなかった(しても100均の靴磨きスポンジで磨くだけ)のだが、きちんとした靴磨きセットで磨くと、やっぱり輝きが違う気がする。それに靴が長持ちするそうなので、これはこまめにやらねばと思う。

その後、最近は適当に済ませていたトイレ掃除と洗面台の掃除を徹底的にした。メラミンスポンジでちょっとやるだけで綺麗になるのはすごい。
それから(いまさらながら)衣替え、というかセーターだの厚手のパジャマだのを収納の奥にしまった。
あとはレシートだの、DMだのの紙類を処分。それからいらないポイントカードや名刺も捨てた。

僕の部屋が片付かない理由の8割は本の存在で、その分類が一番厄介なのだけれど、これを始めるとキリがないのと、やる気力が夜だとわかないので、本をまとめるだけにしてみた。

しめて30分の片付けのつもりでいたが、TrySailの3rdアルバム「TryAgain」を聴き終わるまで50分の片付け&掃除。
やろう、と決めてしまえば、けっこう捗るものだな、と改めて思う。
やろうと決めてから、実際に手を動かすまでの“逡巡”を乗り越えられれば何ごともできるような気がする(話が大きくなった)。
とりあえず、夜でも片付けはできるということが証明されたのは大きい(当たり前です)。

ネット見てる暇あるなら、片付けろってことですね。
以後頑張ります。

思い立ったらクリンリネス

最近、あまり家に1日いる休日がなくなってきた。

今日も、午前中に友人と会い、午後イチでオンライン英会話レッスンをして、いよいよ月末に迫った仙台旅行の新幹線チケットを受け取ってきた。
帰ってきたのは17時頃。そこからはご飯食べて、ワイン飲んで(今日はチュカロ)、グダグダしていた。
だから、と言い訳だけれど、だんだんと部屋が散らかっていく(困った時の「片付かない」話です)。

まあ、毎晩、仕事から帰ってきて30分なりちょっとづつ片付けをすれば良いのだろうけど、生活する分には困らないスペースは確保されているし、なんというか「誰に見せるわけでもないからいいじゃん」的なノリでついつい「次の休み」まで放っておいてしまっている。
ゴミはちゃんと出しているので、不衛生ではないのだ、念のため。

僕にとっては、片付けって、一念発起しないとできないものになっているのだな。有名な「こんまりメソッド」も読んだけれど、ほとんど効果がないようだ。
僕にとって、家にあるものは、トキメクものが多すぎるのかもね(嘘。ただの横着)。

でも!
このブログを書きつつ、さすがにちょっと気になってきたので、これをアップしたら30分だけ片付けることにする(いや、ブログ書く前にやれよ、って説もあるだろうけど、まあ日課は先に済ませておきたいのだ)。

思い立ったときに「やる」というのがいいのかもしれない。
さあ、どのくらい片付いたのか、結果はまた明日!(まさかの連作)

C級ワイン探訪記『チュカロ カベルネ・ソーヴィニヨン』

しばらく前に、この原稿の骨子は書いていたし、正直言うと、なんどもこのワインは飲んでいる。

愛飲しているだけに、レビューをして、他のワインと比べるという行為に客観性をもたせられるのか。
また客観性をもたせた結果、このワインの魅力が「勘違い」だったのではないか、と悩んだりした(大袈裟)。

もう一点、これをもって連載(というかブログネタ)をひとつ失ってしまう、ということが、なんだかんだで寂しかったりするのだ。
とはいえ、始まったものは終わらせなければいけない。すべてがそういうわけではないけれど、同じ形で物事をずっと続けていくというのは難しいことなのだ。

話がズレた。

そんなわけで、C級ワイン探訪記の最終回は、満を持して「チュカロ カベルネ・ソーヴィニヨン」である。

このワイン、甘みはあまりない。ほのかな甘みはあるが、辛口といっていい。
個性としては、その濃さ。C級ワインの中でもこの濃さはそうそうない(カルロロッシのダークは匹敵するかも)。
そしてこのワインが優等生だと思うのは、適度な酸味があるのと、果実味がしっかりしてること。そして、例の「薬品のアルコールっぽさ」がほとんどないことだ。
いわゆる「ハウスワイン」っぽさがない。それよりも上等な味わいがする。395円でこの味に出会ったときはびっくりしたものだ(そしてこの連載に至る)。

さて、マリアージュの話。
あいかわらず“我らが”マクドナルドのメニューと合わせてみた。
普通のポテトとはそうでもないが、ケチャップをつけたポテトと良く合う。ワインに甘みが少ない分、ケチャップの甘みを引き出してくれる感じ。
また、同様にチキンナゲットのマスタードソースも、その中の甘味をひきたててくれるので良い。
ちなみにマスタードをつけたポテトはまあまあ(やや残念)。まあいかに「チュカロ カベルネ」とはいえ万能ではないのだ。
そして、チーズバーガーと合わせてみるが、これもバッチリ。
同じ「チュカロ」のメルローが、ポテトやナゲットには合うのに、チーズバーガーと合わなかったのに対し、カベルネ・ソーヴィニヨンはチーズバーガーにもちゃんと合う。

結論 「マックと合わせるとき最高のワイン」。

そして、それは、この連載における結論でもある。
つまりこの連載は「マックと合わせるのに一番いいワインなーんだ?」の答えを探す旅だったのだと思う。

もちろん、もっと良いワインであれば、マックだろうが、ビーフストロガノフだろうが、車海老のテルミドールだろうが(高級そうなメニュー言ってみただけだがレパートリーが貧弱だな)、きっと美味しくいただけるのだろう。
だけれど、マクドナルドという“キング・オブ・ジャンクフード”(褒め言葉)に高級ワインを合わせるなんて、贅沢がすぎるというか、趣味が悪いと思うのだ。
そういう意味で、価格的にもマクドナルドに釣り合い、しかもお互いの味わいを引き出せる最良の関係を探すことが、この「C級ワイン探訪記」の目的だったのだ、と今、改めて感じている。

実を言えば「カルロ・ロッシ ダーク」も気に入っていて、僕は最近この2本を交互に常飲しているのだが、価格のより安い、そして何より“キング・オブ・ジャンクワイン”として、僕のオススメは「チュカロ カベルネ・ソーヴィニヨン」としておいて、この連載は終了となる。

いままでご愛読ありがとうございました。

次は「C級ワイン探訪記 白ワイン編」(チーズバーガーの代わりにフィレオフィッシュを合わせる)でお会いしましょう!

DATA:
チュカロ カベルネ・ソーヴィニヨン
チリ産ワイン
購入場所 西友
価格 395円(税抜)

たった一人の御祈願

災難除の祈願に行ってきた。

前厄の(正確にはそのさらに前の)年から、毎年御祈願をお願いしているので、すっかり年間行事になっているのだ。
昨年は5月下旬に行ったので、1年を超えてしまったことをずっと気にしていたのだけれど、今日ようやく行けた(@大宮氷川神社)。

お願いするのがいつも平日の午前中のため、御祈願客は少ないのだが、今日は初めて僕以外はノーゲストだった。
つまり僕ひとりのためにその時間の祈願が行われることになったのだ。

巫女さんと神主さん2名と、三人がかりで儀式を行っていただけたので、なんだか贅沢な気分になる。
逆に、自分だけが、この儀式の正式な流れに慣れておらず、なんか変なことをしでかさないか、極度の緊張から逆に笑い出さないか不安になり、ちょっと「絶対に笑ってはいけない御祈願24時」という気分になる(「デデーン、高野アウト」的な)。

でも、まあそんなことは起こらず、滞りなく儀式は済んだ(良かった)。
もう5回ぐらい経験しておりますが、神様の前という気持ちになると、自然と緊張するものだ。

あと、途中「スヅクリの儀を執り行います」と言われて、僕は燕が巣を作るイメージが浮かんでしまったのだけれど(なんとなくこう「福を築く」感あるじゃないですか)、巫女さんが鈴をシャラシャラと鳴らすので、ああ、これは巣作りじゃなくて、鈴繰りなのだな、と思った(ググっても出てはこないが)。

僕は特定の宗教はなく(多分、元をたどれば仏教ではあるんだろうけど)、神様とは「自分の実力でなんとかするけど、いざとなった時に、最悪にならないように見守っててくださいね」という距離を保ちたいと思っている(守護神的役割をお願いしているのだな)。
だからすべてを「神頼み」にするのではなく、やるべきことはきちんとやらなきゃらないな、と気持ちを改めてみた。

とりあえず、これでまた1年頑張っていきまっしょい。

飛躍 「石神井Int’lオーケストラ 第6回定期演奏会」

石神井インターナショナルオーケストラ(石オケ)の定期演奏会に行った。

これで6回目となる演奏会だが、振り返ってみると、練馬区に所属する石オケなのに、これまでの定期演奏会を「ホームグラウンド」の練馬で行ったのは、これで2回目。第2回の演奏会以来だ。
場所は同じ練馬文化センターだが当時は小ホール。今回は大ホールでの公演で、それは堂々の凱旋公演と言えよう。

僕は本公演開演ギリギリで到着したのだが、空席が見当たらないほどの客入りで、1曲目の「ホルベルク組曲 OP.40」(E.グリーグ)は立ち見で聴くことになった。
このホルベルク組曲の第1楽章が本当に良かった。
広い舞台に劣らない音の厚みがあるのは、チェロ、コントラバスという低音弦の充実と共に、団員が舞台の大きさに臆さず堂々と演奏できていたからだろう。

第1楽章が終わったときに、拍手がおこった。
楽章間では拍手をしないのが約束事となっているが、おそらくそれをわかった上でも、拍手を送りたかった人が多くいたからだと思う。
ここで拍手をするのが、当然なぐらい素晴らしい、そしてこれから今日の演奏会への期待をさせる第1楽章だったからだ。

この曲は特に第1ヴァイオリンが素晴らしかった。
ピチカートの部分などは、音も揃っているし、弾く動作もそれぞれ少しずつ個性がありながらも姿が揃っていてとてもカッコよかった。

 

続いて、イリノイ大教授で、5弦ヴィオラの奏者ルドルフ・ハケン氏を迎えての「5弦ヴィオラの為の協奏曲」(ルドルフ・ハケン)。

この曲を理解して弾くのは大変だったろうと思う。
作曲者自らがソリストを務めるので、曲の世界観を教わることは可能だったはずだが、それを理解し、かつ共有するのでは話が変わってくる。
この曲はカントリーっぽいものからジャズっぽいところ、ハリウッド映画の劇伴のような部分など、アメリカ大衆娯楽の歴史を感じる楽しい曲ではあるが、その分、ひとつの曲としてまとまらせるには力の入れ具合、さじ加減、ソリストとの意思の疎通といったものを演奏中に行わなければならないのだ。
それでも、この曲の肝といえる「アメリカ的」な音楽性をきちんと感じさせられ、ソリストのハケン氏とオケの掛け合いのなどのコミカルな部分は聴くこちらも楽しい気分になった。

他の曲と違い、この曲はこの場で初めて聴く人ばかりだったはずだが、事前知識なしでも楽しめる曲だった。

 

休憩をはさんで、ジョン・ケージ「4分33秒」に入る前に、音楽監督の西谷国登さんによるクラシック音楽の歴史(バロックから現代曲まで)のミニレクチャーがあり、プロ奏者4人のアンサンブルも楽しめた。ホルベルク組曲の第5曲でも、安藤梨乃さんと手塚貴子さんのソロがあったように、「アマチュアオケの演奏を聴きにいって、プロの演奏も聴ける」というのは、石オケの強みだと改めて思う。

さて、「4分33秒」。
3楽章全てが休符、つまり無音で演奏される(と言っていいのだろうか)この前衛的な曲は、人の数だけ解釈がある。初めて聴く僕が感じたことは、演奏者にとっての休符とは、己を見つめる時間なのではないか、ということだ。
聴衆を前にしているのに無音、というのは演奏者にとっては恐怖だろうし、ましてや楽器を手にしているのだ。それなのに、曲が始まっても休み続けるという行為はかなりの苦行である。
指揮者も当然、指揮をしたくなるだろうし、演奏者は音を出したくなるだろう。その衝動と戦う葛藤が舞台から感じられた。それは3楽章制であるこの曲の楽章間の「休み」と、演奏中の「休み」が目に見えて違うのがわかったからだ。
演奏者にとっては弾く以上に休むほうが疲労を覚えるのではないかと思うし、弾きたいという欲求を抑え込めるギリギリのラインがこの“4分33秒”という時間なのかもしれない。
その点で、この曲を傑作ととらえるか駄作ととらえるか、考え方が変わってくるのだろう。いずれにせよ(5弦ヴィオラを組み込んだ4分33秒としても)この演奏に立ち会えたことは貴重な経験となった。

 

最後の曲は、チャイコフスキーの「弦楽セレナード ハ長調 OP.48」。
印象的なフレーズ(「オー人事」のアレだ)がいくつも折り重なる壮大な第1楽章に始まり、華やかな第2楽章につながる。後半にいけばいくほど、しっかり弾かないとダレてくる曲で、普段このオケのトップで演奏しているプロ演奏家たちが最後列にまわるという配列で演奏された分、団員は他の曲以上にプレッシャーや不安があっただろう。
第4楽章で、低音部(チェロ、コントラバス)がフレーズを主導する部分があるのだが、最初はその不安さが音に乗ってしまったのがわかった。しかし、その直後のフレーズで他の3パート(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ)がしっかり支えたことで、立て直し、2度目以降の同フレーズはぐんと良くなった。いつもであれば支えてくれている低音部へのエールのように感じられ、こうやって曲の中でオケ同士が励まし合い、支え合う姿に感動したし、プロを後ろに控えさせながらも、そういうフォローができることに成長を感じた。

 

そしてアンコールはS.バーバーの「弦楽のためのアダージョ」だが、この曲は今までのアンケートの中で、「弾いてほしい曲」で最もリクエストの多い曲だったそうだ。
今回の演奏は、そのアンケート回答に応えたことになる。

 

「応えること」。

それが市民オケの役割だと思う。

今回多くの客席が埋まったのは、石オケが「みどりの風 区民コンサート」や「練馬ユニバーサルコンサート」など、要望に応えて、地元に密着する舞台で演奏する市民オケとしての道を確実に歩んできたことの証だろう。

石オケの団員が地元の人から愛され、同じ舞台にあがることが音楽愛好家の憧れとなり、聴衆の期待に応える存在になる。

その価値が今のこのオケには十分ある。
舞台にあがるメンバーも観客も顔見知りの多い、いわゆる“おらが”オーケストラから、広く音楽好きの地元人たちから支持される“市民のオーケストラ”として受け入れられたのを感じて、僕は終演後、しばらく動けなかったほどだ。
昨年「市民オーケストラ」のスタートラインにたったばかりに思われた石オケが、1年でここまで辿り着いたことに、正直驚きを感じている。
それは初期から応援してきた自分にとって嬉しく誇らしい反面、自分の知っているオーケストラが手元から離れてしまったような、一抹の寂しさもある。

ただ、これから高いレベルで、そしてより大きな様々な舞台で演奏をし、多くの人から受け入れられるためには、通らなければいけない道でもあるのだろう。

来年の演奏会は再び練馬を離れ、杉並公会堂大ホールが舞台となるそうだ(2020年6月20日)。団員の方々には、今回の地元公演を踏まえ、「練馬区に石神井インターナショナルオーケストラあり」という姿を、他の地域の音楽ファンに届けるチャンスと捉えてほしい。そして聴衆の方々はその日をぜひ楽しみに待っていてほしい。

より多くの人に、石神井Int’lオーケストラの音楽が届くことを願っている。

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』を見た。

タイトルからして、マーティン・フリーマンが『SHERLOCK』で有名になった後、日本でDVD化したパターンだろう。
現題は『Nativity!』でクリスマスのキリスト生誕の演劇を題材に、教師と生徒の交流を描く“典型的な”ファミリー向けコメディ。イギリスでは好評だったらしく『3』まで作られている(マーティン・フリーマンは『1』にしか出ていない)。
それなりに楽しく観れて大団円、といった王道さは、安心して見ていられた。

マーティン・フリーマンは、こういう、ちょっと“こじらせた”大人の役がよく似合う。そして上手い。
冷めた目で世間と距離を置き、皮肉を言いながらテキトーに過ごすが、何か(誰か)に巻き込まれたときに、イヤイヤながらもそれに付き合い、なんだかんだで期待以上に成果を上げる、という感じ。この映画の教師役しかり、『SHERLOCK』のワトソンしかり、『ブラック・パンサー』のエヴェレット・ロスしかり(考えたら『ホビット』のビルボもそんな感じじゃない?)。

なんというか、しれっとしながら「ここぞというときに頼りになる」キャラクターが多い。そして上手い。
その姿を見て、イギリス人って厄介だなーと思いつつ、その「愛すべき厄介さ」(僕はこれ「男の可愛げ」だと思うんだけれど、女性にはあんまり同意してもらえない気がする)を体現できる俳優なんだと思う。好きなタイプの役者さん。

とか書きつつも、そんなに彼の出ている作品を見ていないのだけれど(『SHERLOCK』はケーブルテレビでしょっちゅうやってるイメージの「ピンク色の研究」をいつも斜め見する程度だし)。今さらながら、追いかけていきたいと思う。

健診の日

待ちに待った(嘘)健康診断だった。

健診にあたって、色々持参しなければいけないのだが、朝から自分の排泄物を記録する行為というのは、考えてみるとシュールな光景だ。
しかも検査に備えて飲まず食わずの状態で、というのが「管理されてるディストピア感」を高める。「低予算のフランスSF映画っぽい」とか思いながら出したものと向きあう自分。
こういうわけのわからない思考になるほどに、きっと腹が減っていたのだろう。

さて、そうして臨んだ今回の検診は?

身長が1.2cm伸びた(昨年比)。
あれは測り方次第でプラスマイナス3cmぐらいはどうにでもなる気がする。もういい大人なんだし、成長の記録なんだから少し上振れしておいてもらえたら嬉しいが、よくよく考えるとそういう個人を喜ばす数値を出していると、いつのまにか健康を害している可能性もあるから、健康管理に影響があるよな。
どんな数値であれ、数値というものは厳密に出すべきなのかもしれない(他意はない)。

採血をしたのはベテランっぽい看護師さんだったが、注射針を刺すポイントが的確すぎて痛かった。
ヘッドショット率が高そうな、FPSで敵に回したくないタイプ(冗談も通じなさそうだった。美人だったが)。

それから毎度緊張する胃のレントゲン前のバリウムの儀(っていうか発泡剤の儀)もなんとかこなした。
でも、なんでアレ、ゲップしちゃいけないんですかね。幸い、一度も失敗したことはないのだけれど、そのたびにとても緊張する(ゲップしちゃいけない理由は胃が萎むかららしい)。

そんな感じで無事検査自体は終了。
結果が良いか悪いかで、その評価は変わるけれども、健診が終わった今は、自由に好きなものを食べられるし、好きなだけ飲めるし、といった自由を謳歌できるので、それはそれで嬉しい。
こう、支配社会を脱出してきた気になる(朝のディストピアを引きずっている)。

そう言いつつも、節制は大事だよね。
年1回とはいえ、こういう自分の体調を見つめ直す機会があるのは良いことなのだろう。
あとは結果が良いことを祈って待つ。