浅田真央の引退に思う

浅田真央選手が引退した。

さほどフィギュアスケートに詳しくない僕でも、真央ちゃんの試合はジュニアの頃から見ていたし、当時はオリンピックで金メダルを取るものだと思っていた。多分、日本国民のほとんどがそんな感じだったろう。

その才能だけでなく、可愛らしい容姿から「国民的アイドル」的存在でもあった。
選手としては、トリプルアクセルという他の女子選手ができない武器を持ち、そこにこだわるからこそ、なかなか結果(順位)がついてこなかった部分もある。

フィギュアスケートという競技は、他のスポーツのような距離やタイムといった明白な基準だけではなく、スポーツではなく「芸術点」(正しくは「構成点」)という至極あいまいな要素が大きく関わってくる。
ライバルだったキム・ヨナよりも難度の高い技を決めながらも、点数が追いつかないという現象は、バンクーバーオリンピックでの結果と嫌韓のムードも手伝って、ジャッジの買収を疑う者や「本当の点数検証動画」などがネットには出回った。
その流れの中で、浅田真央は「アイドル」本来の意味合いである日本の「偶像」として、重荷を背負わされているようにも思えた(かくいう僕だって、キム・ヨナ選手の得点は高すぎるとは思っていたけれど)。

その重荷はライバルの休養や、他の有力選手が注目される中で薄まり、国民全てが「真央ちゃんに金メダルを取らせたい」という純粋な思いで応援できるようになったソチオリンピックでは、ショートプログラムでまさかの16位。
本人にとって、競技人生で最大にして唯一の目標であっただろう(そして年齢を考えればラストチャンスだった)オリンピックの金メダルが絶望となった時、本人のショックは想像を絶するものだったに違いない。

「もう浅田真央のオリンピックは終わった」と誰もが思ったその状況で、浅田真央は完璧なフリーの演技をみせた。それは、ともすれば「ダンス」や「芝居」のような、エンターテイメントと同様にみなされてしまう「フィギュアスケート」というスポーツが、紛れもなくアスリートの競技であることを僕達にまざまざと見せつけた瞬間だったように思う。
(このソチオリンピックでの演技について、昨年亡くなった竹田圭吾さんが書かれたブログ記事「彼ひとりの夜にとっての浅田真央」は名文なので、ぜひ読んでほしい)

若手が台頭してくる中、思うような成績がでないのは辛かっただろうし、なんとなく休養後の浅田選手には悲壮感が感じられた。女子フィギュアのオリンピック枠が2枠になったことも、引退を決めた要因かもしれない。

それでも、浅田真央は日本だけでなく世界のフィギュアスケート界に大きく貢献した選手であり、真央ちゃんは実力を兼ね備えた稀有なアイドルだった。これからはプロスケーターとして滑る機会があるだろうから、そこで伸び伸びとした演技をみせてほしい。
いや、これは僕が見たいだけかもしれないが、日本国民のほとんどが同じ思いだと予感している。

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